パルティアで起こった文化的変容/東大世界史2023第2問・問2(c)

世界史

「パルティアは名前しか知らない」
「パルティアで起きた文化的変容を知りたい」
「イスラーム化する前のイランの流れを知りたい」

東京大学は2023年度入試において、世界史第2問の問2(c)で
西アジアの政治的中心地として栄えたクテシフォンを建設した国の名前と、その国で起こった文化的変容について言語面を中心に2行(≒60字)以内で記述させる問題を出題しました。

諏訪孝明
諏訪孝明

イラン史の流れを理解していないと難しい問題ですね

この記事では、以下の内容について解説します。

  • パルティアの特徴
  • パルティアで起きた文化的変容
  • イスラーム化するまでのイランの歴史

パルティアやイラン史について知っておきたい方は是非最後までご覧ください!

執 筆 者
諏訪孝明

東京大学経済学部卒
1浪・東大模試全てE判定・センター7割台の崖っぷちから世9割、日8割、数2割で文科Ⅱ類に合格。
これまでに1000人以上の受験生を指導。 
直近2年で偏差値70超の学校への合格率が90%を超えている。

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講義

パルティア以前のイラン史

メディア(紀元前8世紀末~紀元前6世紀中頃)

イラン北西部にイラン系の民族が建てた国です。
首都はエクバタナです。
新バビロニアと協力してアッシリアを滅ぼし、「4王国分立時代」を到来させます。
アケメネス朝のキュロス2世によって滅ぼされます。

アケメネス朝ペルシア(紀元前6世紀~紀元前4世紀)

キュロス2世

イラン系のペルシア人であるキュロス2世は、同じくイラン系の国であったメディアを滅ぼしてアケメネス朝ペルシアを建国します。
続いてリディア、新バビロニアを征服してユダヤ人をバビロン捕囚から解放します。

カンビュセス2世

エジプトを征服し、オリエントを統一します。

ダレイオス1世
中央集権国家体制の確立

統一したオリエントを支配するために、統治機構を整備します。

  • 都(政治の中心地)をスサとする
  • 地方の統治をサトラップに任せる
  • 「王の目」「王の耳」という監察官にサトラップを監視させる
  • 王の道を整備し、駅伝制を整える

駅伝制というのは、街道に宿駅(宿泊所や移動に用いる馬を飼育しておく施設)を整備して物資や情報が効率よく領土内を流通するようにする制度のことです。中央集権体制の維持に欠かせない制度となっています。

経済

全オリエントの支配を維持するには経済力が必要です。
そのため、

  • フェニキア人の海上交易を保護
  • アラム人の内陸交易を保護
  • 公用語も国際商業語であったアラム語とする
  • 金銀貨幣を鋳造する
  • 駅伝制により流通網を整える
文化

文化面でも支配維持のための取り組みを実施します。

アケメネス朝ペルシアの宗教はゾロアスター教が中心でしたが、ユダヤ人にユダヤ教の信仰を許可するなど寛容な態度をとりました。

アケメネス朝は異民族の風習を尊重し寛容な統治を行った

と表現します。

これは、アッシリアが重税や強制移住などによって異民族から離反されたことを反面教師にしています。

また、ダレイオス1世はペルセポリスを主に宗教的儀式を行うための都として建設します。

外征

小アジアの・イオニア地方のギリシア人植民市がアケメネス朝ペルシアに対して反乱を起こします。
アテネがこれを支援したため、その報復としてギリシア諸ポリスへ侵攻します。
これがペルシア戦争です。

その後のアケメネス朝ペルシア

クセルクセス1世のときにギリシア征服に失敗し、ダレイオス3世のときにイッソスの戦いアルベラの戦いでマケドニアのアレクサンドロス大王に敗れて滅亡します。

セレウコス朝シリア(紀元前4世紀末~紀元前1世紀中頃)

アレクサンドロス大王が急死すると、その部下セレウコスが建てたセレウコス朝シリアがイランを支配します。
ギリシア系の国家であるため、ギリシア人の移住やギリシア風の都市建設を推進します。
よってヘレニズム文化が栄え、ギリシア語が使用されます。
これに対する反発が強まり、東方ではバクトリアやパルティアが分離独立を果たします。

パルティア(紀元前3世紀中頃~3世紀前半)

イラン系のアルサケスがセレウコス朝から独立して建国します。
そして、ミトラダテス1世の時代にイラン高原からメソポタミアに進出し、新都クテシフォンを建設します。
「絹の道」によるローマと漢との仲介貿易(字数を割けないときは単に東西交易と書くとよい)で繁栄します。
中国の歴史書である『史記』には「安息」という呼称で登場しています。
仲介貿易による利益を失うことを恐れて、後漢の班超がローマ帝国に派遣した甘英のローマ行きを途中で断念させたとされています。

紀元前1世紀にシリアへ進出するとローマとの抗争が激しくなり、クラッススを撃破したり五賢帝の1人であるトラヤヌスに一時的にクテシフォンを奪われたりします。

こうした抗争により衰えたパルティアは、ササン朝ペルシアに滅ぼされます。

パルティアの文化的変容(言語面中心)

パルティアは、当初はセレウコス朝シリアからヘレニズム文化を継承し、ギリシア語を使用します。
しかし、後に国の伸長とともにその影響が弱まっていくとイランの伝統文化を復活させ、ペルシア語を公用語とします。(正確には、ペルシア語の一種でありイラン系言語のパフラヴィー語が公用語とされます。)

パルティア以後イスラーム化するまでのイラン史

ササン朝ペルシア(3世紀前半~7世紀中頃)

ペルシア人のアルダシール1世がパルティアを滅ぼして建国します。
同じイラン系の王朝ということもあり、都は引き続きクテシフォンです。
イラン伝統文化の継承を掲げ、ゾロアスター教を国教とします

シャープール1世(3世紀中頃~後半)

後を継いだシャープール1世のとき、ササン朝ペルシアは勢力を拡大します。

  • 中央アジアやインド西北部を支配していたクシャーナ朝を服属させて東西交易路を確保する
  • エデッサの戦いでローマ皇帝ウァレリアヌスを捕虜とするなど、ローマとの戦いを優勢に導く

シャープール1世は、ゾロアスター教・ユダヤ教・キリスト教・仏教の影響を受けて成立したマニ教を保護します。
その後、マニ教は国内では弾圧されてシリア、北アフリカなどへ広がっていきます。

エフタルの侵入(5世紀後半)

中央アジアの遊牧民であるエフタルが侵入し、政治が混乱します。

ホスロー1世(6世紀前半~後半)

そうしたなかで登場したホスロー1世はエフタルを撃破し、ササン朝の最盛期を実現します。

ホスロー1世はビザンツ皇帝ユスティニアヌスとの抗争を有利に進め、和平を締結したうえで突厥と同盟してエフタルを滅ぼします

その後のササン朝ペルシア

7世紀初め、ホスロー2世のときにササン朝の領域は最大となりますが軍事遠征のための重税で国内が疲弊します。
その後、7世紀中頃ニハーヴァンドの戦いでイスラーム軍に完敗し、まもなく滅亡します。
この後、イランはイスラーム化していくことになります。

ここまでのまとめ

ここまでの内容をまとめます。

答案作成

字数を気にせず書いてみる

パルティアは当初、ヘレニズム文化を継承しギリシア語を使用したが後にイランの伝統文化を復活させペルシア語を公用語とした。

59字です。
2行問題ですので、ちょうどいい文字数になりました。

解答例・この記事のまとめ

今回の解答例は

パルティアは当初、ヘレニズム文化を継承しギリシア語を使用したが後にイランの伝統文化を復活させペルシア語を公用語とした。

とします。

東大世界史2023世界史解説記事リンク一覧
・第1問     https://ronjyutu-taisaku.com/todai-w-2023-1/
・第2問問1(b)https://ronjyutu-taisaku.com/2023-2-1-b/
・第2問問2(b)https://ronjyutu-taisaku.com/todai-w-2023-2-2-b/
・第2問問2(c)この記事です。
・第2問問3(a)https://ronjyutu-taisaku.com/todai-w-2023-2-3-%ef%bd%81/
・第2問問3(b)https://ronjyutu-taisaku.com/todai-w-2023-2-3-b/

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