【速報】東京大学日本史2025全設問を試験翌日に徹底解説!解答例も紹介!

【速報】東京大学日本史2025全設問を徹底解説! 東大日本史

この記事は2025年2月27日に執筆しています。
東大日本史2025の問題が手に入りましたので、速報解説をお届けします。

執 筆 者
諏訪孝明

東京大学経済学部卒
1浪・東大模試全てE判定・センター7割台の崖っぷちから世9割、日8割、数2割で文科Ⅱ類に合格。
これまでに1000人以上の受験生を指導。 
直近2年で偏差値70超の学校への合格率が90%を超えている。

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第1問:7世紀・8世紀の中国文化の受容のあり方と担い手の比較

この問題は文化史に見えますが、実際には外交史の視点を持つと解きやすい問題です。

資料の読み取り

文章(1):7世紀前半

  • 「渡来系氏族の鞍作鳥」:飛鳥文化を代表する仏師。
  • 「法隆寺金堂釈迦三尊像」:北魏様式の影響を受けた仏教美術。
  • 「蘇我馬子」「飛鳥寺」:豪族が権威を示すために氏寺を建立。
  • 「百済王が技術者を派遣」:朝鮮半島の国家である百済との友好関係の中で文化を受容。

文章(2):7世紀後半

  • 「インド的な要素」「初唐の絵画様式」:中国を通じた国際的な文化の受容。
  • 「新羅を通じて」「亡命百済人の役割も大きかった」:朝鮮経由での文化受容が継続。

文章(3):8世紀前半

  • 「大宝の」:律令国家の確立。
  • 「遣唐使」「朝貢」:唐からの直接的な文化受容。背景には唐を中心とする東アジア秩序(冊封体制)の安定。

文章(4):8世紀前半

  • 「遣唐使で渡唐した玄昉が(仏教の)経典を持ち帰った」:仏教の教えを文字情報として本格的に輸入。

文章(5):8世紀中頃

  • 「遣唐使帰国船」:仏教の受容が国家的事業に。
  • 「戒律を伝えてほしい」:戒律の重要性が高まった=律令政府が国家事業として僧尼の育成に注力した。
  • 「仏像製作」:仏教美術の受容も続く。

資料をヒントにした整理

項目7世紀8世紀
国内の担い手豪族単位律令国家主導
国内政治状況豪族の発言力が強い中央集権国家の確立
鎮護国家思想
どこからの受容朝鮮経由
・渡来系氏族から
・朝鮮半島の国家から
唐から直接
遣唐使(朝貢貿易)
高僧を直接招いた
受容したもの仏教美術仏教美術+経典・戒律
受容したものの特徴国際色が豊かで多様規範の導入による画一化の方向
東アジア情勢不安定唐を中心とする秩序の確立

これらを150字にまとめれば合格点のとれる解答例になりそうです。

解答例

7世紀は渡来系氏族や百済・新羅経由で中国文化を受容し、豪族が担い手だった。8世紀は律令国家が遣唐使を派遣し、唐の文化を直接受容する形へと変化した。仏教美術に加えて経典や戒律を受容し、鎮護国家思想のもとでの国家的仏教政策に活かした。背景には中央集権国家確立や唐を中心とする東アジア秩序の安定があった。(149文字)

第2問:室町幕府の土一揆への対応

この問題では、室町幕府の対応と土一揆の構成・基盤の違いを意識する必要があります。

資料の読み取り

文章(1)(2)

  • 「調査を命じた」「その村を処罰する」:室町幕府の対応。
  • 「荘園内の住民」「住民が参加したら処罰」:土一揆の基盤は農民・荘園。

文章(3)(4)

  • 「首謀者の地侍」:大名と主従関係を結んでいる下級武士が主導。
  • 「守護に処罰を求めた」「守護に対し~命じた。」:室町幕府の対応。

資料をヒントにした整理

項目農民の土一揆地侍の土一揆
構成員農民(荘園の住民)守護の配下である地侍
基盤惣村守護の一円支配
対応窓口荘園領主や惣村の指導者守護
事後対応村単位で処罰した(連帯責任)守護に処罰させる
事前対応誓約書の提出
相互監視
守護による統制の強化

これをまとめれば合格点のとれる解答例になりそうです。

解答例

室町幕府は、農民の土一揆に対しては村単位での調査・処罰を行い、地侍の土一揆に対しては守護を通じた統制を図った。農民の土一揆は荘園や惣村を基盤とし、村落共同体が主体だったが、地侍の土一揆は守護領国制のもとで発生し、下級武士層が主導した。幕府は両者に異なる対応を取り、地域ごとの統制を強化した。(145文字)

第3問(A):関ヶ原の戦い後における東海道整備の特徴

この問題では、徳川家康が関ヶ原の戦い後に行った東海道の整備について問われています。

資料の読み取り

文章(1)

  • 「関ヶ原の戦いに勝利して豊臣秀吉政権の後継者としての地位を固めた」:この時点では依然として豊臣秀頼が大阪城におり、家康は天下人ではなく「後見人」の立場にあった。

文章(2)

  • 「東海道に伝馬の制度を定め」:主要な街道に宿駅を設け、江戸~大坂間の情報伝達を迅速化。
  • 「譜代大名を配置した」:東海道の重要拠点に外様大名ではなく、徳川家の家臣である譜代大名を配置。

文章(3)

  • 「家康は京都・伏見と江戸を行き来して政務をとった」:大坂の豊臣秀頼や朝廷を警戒し、東海道の管理を強化。

資料をヒントにした整理

項目東海道整備の特徴徳川家康の意図
宿駅の設置伝馬の制度を定め、主要街道の交通を整備江戸~大坂間の移動速度を向上し、大坂の動向を把握
譜代大名の配置東海道の要所に譜代大名を配置豊臣方の反乱に備え、外様大名の影響を排除

この表の内容をまとめれば合格点のとれる解答例になりそうです。

解答例

家康は東海道に宿駅を設け交通を整備し、江戸と大坂・京都間の情報伝達を迅速化した。また、東海道の要所に譜代大名を配置し、豊臣方の影響を抑えて幕府の支配体制強化を図った。(83文字)

第3問(B):武家諸法度による大名の参勤に対する意識の変化

この問題では、参勤の目的や頻度、背景の変化に着目する必要があります。

資料の読み取り

文章(3)

  • 「家康への忠誠心を示すために」:参勤は家康個人への忠誠を示す手段。
  • 「必要に応じて」「命じられ、ただちに」:定期的なものではなく、家康の命令に基づく不定期な参勤。
  • 「京都・伏見や江戸に」:家康のいる場所への参勤。

文章(4)

  • 「参勤に関する規定が明文化された」:家康の個人的な命令ではなく、制度化された参勤に。
  • 「隔年で4月に」「江戸に」:参勤が定期的になり、江戸への参勤が義務化。
  • 「儀礼的な体面を重んじ」「家格に応じた」:家格の確認・維持のための儀礼的要素が強化。

資料をヒントにした整理

項目武家諸法度制定前武家諸法度制定後
参勤の対象家康個人江戸幕府
参勤の目的家康への忠誠心を示す幕藩体制の確立と維持・家格の確認
参勤の頻度不定期定期(隔年4月)
参勤の場所京都・伏見や江戸江戸
国内の政治情勢大坂城に豊臣秀頼がおりまだ不安定江戸幕府の幕藩体制が確立

2行、つまり60文字しか書けないので、「参勤の目的」と、その背景として「国内の政治情勢」についてまとめれば合格点のとれる解答例になりそうです。

解答例

幕藩体制の確立後の参勤は幕府への忠誠を示すものとなり、定期的な制度として確立し、大名の家格を示す儀礼的なものとなった。(59文字)

第4問(A):当初の学校教育において唱歌が実施されなかった理由

資料の読み取り

史料(チェンバレンの見解)

  • 「耐えがたいほとにいらだたせる」「すばらしい効果が欠けている」:西洋人にとって日本の音楽は異質であり、評価が低かった。
  • 「私たちの旋法の区別を何ひとつわきまえておらず」:西洋の音楽と日本の音楽は理論的な基礎が大きく異なっていた。
  • 「日本人自身が音楽にこんなにも無関心」:当時の日本人の多くは音楽そのものに関心が薄かった。

文章(2)

  • 「西洋の歌を原曲とするもの」:当時の唱歌は日本の伝統的な歌ではなく、西洋の歌を基にしていた。

資料をヒントにした整理

1:教育者不足

西洋音楽の理論と日本の音楽の理論が大きく異なっており、それを教えられる教育者がほとんどいなかった。

2:国民意識との乖離

当時の唱歌は西洋の歌を原曲としていたため、日本の伝統文化との親和性が低く、国民国家としての国民の統合に適していなかった。

3:文化的受容の困難さ

日本人の多くが音楽に対して関心が薄く、西洋音楽の導入が難しかった。

解答例

西洋音楽と日本音楽の理論が異なり、教育できる人材が不足し、西洋の唱歌が日本の伝統と合わなかったため実施されなかった。(58文字)

第4問(B):『小学唱歌集』から『尋常小学唱歌』への変化の背景

資料の読み取り

文章(2)

  • 「西洋の歌を原曲とするもの」:初期の『小学唱歌集』には、西洋の楽曲を元にしたものが多かった。

文章(3)

  • 「滝廉太郎が作曲した」:日本人が西洋の音楽理論を学び、作曲できるようになった。

文章(4)

  • 「音階や旋法といった面では違いはない」:音楽理論は引き続き西洋のものを採用している。
  • 「日本人によって作詞・作曲された唱歌のみが掲載」:日本人の手による創作が重視されるようになった。

資料をヒントにした整理

『小学唱歌集』『尋常小学唱歌』
楽曲の理論西洋音楽の理論西洋音楽の理論
西洋音楽理論の浸透度低い・無関心日本人作曲者が登場
作詞者・作曲者西洋の歌を原曲とするものが多い日本人が作詞・作曲した曲のみ
時代背景近代国家としての枠組みを整備中日清・日露戦争に勝利して植民地を獲得し、国民国家としての統合を強化する必要性が高まった

この表の内容をまとめれば合格点のとれる解答例になりそうです。

1:日本人作曲者の登場

滝廉太郎など、日本人が西洋音楽の理論を学び、作曲をするようになった。

2:国民統合の強化

日清・日露戦争に勝利し、日本が東アジアの強国としての地位を確立する中で、国民国家としての統合を進める必要性が高まり、日本人自身による唱歌が求められた。

3:ナショナリズムの強化

植民地支配も始まり、自国文化を重視する意識と必要性が高まった。

解答例

日本人が西洋音楽の理論を学び、唱歌となる歌の作詞や作曲が可能となった。また、日清・日露戦争に勝利して植民地を獲得し、ナショナリズムが高揚して国民国家としての統合が強化された。(87文字)

まとめ

2025年度の東大日本史は、古代から近世・近代まで幅広いテーマが出題されました。
いずれの設問も単なる出来事の暗記ではなく、時代背景や担い手の変化、外交・政治・文化が複雑に絡み合う点を読み解く力が求められています。

第1問では、7世紀から8世紀にかけての中国文化受容の転換と、その背後にある外交関係・国家体制の変化を整理できるかどうかがポイントでした。

第2問の土一揆に対する室町幕府の対応の違いも、農民主体か地侍主体かを分けて考えることで構造が見えやすくなります。

第3問(A)(B)では、関ヶ原戦後の街道整備や参勤の制度化の理由を、徳川家の政権基盤強化と結びつける視点が重要でした。

最後の第4問(A)(B)では、唱歌の実施をめぐる教育制度の変遷が、西洋音楽の導入と国民国家の形成という近代日本の大きな流れのなかで起こったことが問われています。

出題全体としては、史料の読解を基点に、時代ごとの政治的・社会的・文化的背景を関連づける力が問われる内容でした。
本記事の解説例を参考にしながら、史料の使い方と論述の一貫性を意識して復習を進めていただければ幸いです。

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