【東大日本史2024】1873年から1916年の小作地の比率変化の要因|第4問設問A解説

東大日本史2024第4問設問A1873年から1916年の小作地比率の変化要因 日本史

「1870年代から1900年代に小作地率が上昇した要因を知りたい」
「1900年代から1910年代に小作地率が横ばいとなった要因を知りたい」
「地租改正から産業革命までの農村の歴史を整理しておきたい」

2024年の東大日本史第4問設問Aでは、1873年から1916年の間に小作地率がどのように変化したか、その要因を3行(約90字)以内で記述する問題が出題されました。

この記事では、以下の内容について詳しく解説します。

  • 小作地とは何か
  • 地租改正が農村に与えた影響
  • 松方デフレが農村に与えた影響
  • 軽工業の産業革命が農村に与えた影響
  • 重工業の産業革命が農村に与えた影響

明治時代から大正時代にかけての農村の歴史を整理できる内容となっていますので、ぜひ最後までお読みください。

執 筆 者
諏訪孝明

東京大学経済学部卒
1浪・東大模試全てE判定・センター7割台の崖っぷちから世9割、日8割、数2割で文科Ⅱ類に合格。
これまでに1000人以上の受験生を指導。 
直近2年で偏差値70超の学校への合格率が90%を超えている。

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講義

小作地とは

小作地とは、小作人が地主から借りて耕作する土地のことです。

小作農は自分の土地を持たず、地主に小作料を支払いながら農業を行います。
そのため、経済的には厳しい状況に置かれがちです。

対して、自作農は自分の土地を耕作するため、経済的に比較的安定しています。
しかし、経済状況の変動により小作農に転落することもありました。

地租改正(1873年)

地租改正により土地の所有権が明確化され、私的土地所有制度が整いました。

これに伴い、土地の売買が自由化されて自作農が土地を担保に借金をすることが可能になりました。
そして、借入金を返済できない自作農が土地を手放して小作農へと転落するケースが増加しました。
これが小作地の増加につながり、地主制の基礎が固まることとなりました。

松方財政(1880年代前半)

1880年代前半の松方財政による緊縮政策がデフレを引き起こし、特に米価や繭価が大幅に下落しました。
農村経済は深刻な不況に陥り、自作農の経営は困難になりました。
地租は物価に関係なく固定されていたため、米価の下落により相対的に地租の負担が増加して自作農が次々に小作農へと転落しました。

これにより地主への土地集中が進み、小作地率の上昇が加速しました。

軽工業の産業革命(1880年代後半~1890年代)

1880年代後半から1890年代にかけて、紡績業や綿織物業などの軽工業を中心に産業革命が進展しました。

綿織物の機械化が進むと農村での手工業が衰退しました。
農家は自ら作っていた衣料品を購入するようになり、さらに商品経済に深く巻き込まれるようになりました。

また、安価な輸入綿花の増加により国内の綿花栽培が衰退しました。
そして、生糸の生産に必要な桑の栽培や養蚕といった、価格変動の大きい商品作物への依存が進行しました。

これにより自作農の経営は不安定になりました。

その結果、農地を手放して小作農へと転落する自作農が増え、農村では農民の階層分化がさらに進行しました。

重工業の産業革命と発展(1900年代~1910年代)

1900年代以降、日露戦争前後の時期に重工業の産業革命が進展し、1910年代には大戦景気により都市部での工業が飛躍的に成長しました。

都市での就労機会が増加すると、土地を失った自作農が農村を離れて都市へ移り住み、工場労働者となるケースが増えました。

こうして農村人口の都市への流出が進み、小作農になる者が減少したため、小作地率は横ばい状態となりました。

資料・図の読み取り

リード文

1870年代には農地売買が自由化され、農地を担保に借り入れた資金を返せない際に、土地所有権を移転することも容易になった

1870年代には農地売買の自由化が進み、自作農が土地を担保に借金をすることが可能となりました。
そして返済できない場合には土地を手放すケースが増えたことがわかります。
これにより小作地率が上昇しました。

図1

1873年~1883年

地租改正後、土地を担保に借金をし、返済できない自作農が小作農に転落したことで小作地率が上昇しました。

1883年~1892年

松方デフレによる農村の不況と農産物価格の低下により地租の負担が相対的に増加し、経営困難に陥った自作農が土地を手放して小作農となり、小作地率が上昇しました。

1892年~1907年

軽工業の発展で農村の手工業が衰退し、価格変動の大きな商品作物への依存が増加しました。
経営不振により農地を手放す自作農が増え、小作地率が上昇しました。

1907年~1916年

重工業の発展と都市での就労機会の増加により、農地を失った自作農が都市へ流出して工場労働者となりました。
これにより、小作地率は横ばいになりました。

資料1

書入

資料1では、所有地を担保にして金銭を借り入れる「書入」の制度が説明されています。
この「書入」とは土地を担保に資金を借りることを指し、借入金を返済できない場合にはその土地の所有権が貸主に移転するという仕組みです。

地租改正後、土地売買が自由化されて借金の担保として土地が利用されることが一般化しました。
その結果、借入金の返済ができずに土地を失う自作農が増加し、地主による土地の集積が進んだことがわかります。この動きが農村における自作農の減少と小作地率の上昇に繋がったと考えられます。

解答例

土地売買が自由化されて書入が増加し、不況などが原因で土地を失う自作農が増えて小作地率が上昇した。1900年代には重工業の発展で都市へ流出する農民が増え、小作地率は横ばいとなった。
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