【東大日本史2022】元禄時代の江戸幕府がどのような用途を想定して農民に鉄砲の所持と使用を認めたのか|第3問A解説

東大日本史2022第3問設問A江戸幕府が農民に鉄砲の所持と使用を認めた際に想定した鉄砲の用途 日本史

「豊臣秀吉が刀狩を行った目的を知りたい。」
「元禄時代の政治の特徴を理解したい。」
「17世紀に新田開発が盛んになった背景を知りたい。」

2022年の東大日本史第3問Aでは、「元禄期の江戸幕府がどのような用途を想定して農民に鉄砲の所持・使用を認めたのか」について、刀狩によって鉄砲を没収した理由と対比して3行(約90字)以内で説明させる問題が出題されました。

この記事では、以下の内容について詳しく解説します。

  • 豊臣秀吉が刀狩を実施した目的
  • 元禄時代の政治の特徴
  • 17世紀に新田開発が盛んになった背景

戦国時代の終結から元禄時代にかけて、戦乱の時代から平和の時代へと変わりゆくなかで豊臣秀吉や江戸幕府が採用したさまざまな政策についてみていきます。
ぜひ最後までご覧ください。

執 筆 者
諏訪孝明

東京大学経済学部卒
1浪・東大模試全てE判定・センター7割台の崖っぷちから世9割、日8割、数2割で文科Ⅱ類に合格。
これまでに1000人以上の受験生を指導。 
直近2年で偏差値70超の学校への合格率が90%を超えている。

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資料の読み取り

文章(1)

豊臣秀吉は諸国の百姓から刀・鉄砲など武具の類を没収

これは、豊臣秀吉が実施した「刀狩」に関する記述です。
秀吉は農民が武器を持つことを禁じ、農民から刀や鉄砲を没収しました。

百姓は農具させ持って耕作に専念すれば

刀狩は農民を戦闘から切り離し、彼らが農業に専念できる環境を整えることを目的としていました。
農民が農業に専念すれば農業生産が安定し税収も確保できます。

文章(3)

1687年/1689年

ここでは徳川綱吉の治世、すなわち元禄時代に関する記述が取り上げられています。

条件をつけて鉄砲の所持や使用を認め/作毛を荒らされるか、人間や家畜の命に関わるような場合

元禄時代には、特定の条件下で鉄砲の所持と使用が許可されました。
具体的には、田畑に被害をもたらす害獣(例えばイノシシやシカ)駆除や人命・家畜の命に危険が及ぶ場合に限り鉄砲の使用が認められていました。

幕府は、田畑が害獣から受ける被害を防ぐことで年貢収入の安定化を図ろうとしたと考えられます。

講義

刀狩

全国統一を達成した豊臣秀吉は戦国大名に対して戦闘の停止と領地の確定を命じ、違反する大名は討伐しました。
また、百姓が関与する合戦や私闘も禁止して長く続いた戦乱の時代を終わらせようとしました。
その一環として実施されたのが刀狩です。

戦乱の時代が集結したことにより農民を戦争に動員する必要がなくなりました。
そこで、刀狩令で農民が武器を所有することを禁じ、刀狩で刀や鉄砲などの武器を没収しました。
農民を農業に専念させることで農業生産の維持・向上を図ろうとしたのです。

また、刀狩によって武器を持つ武士と持たない農民の区別が明確になりました。
これが兵農分離です。
農民は武器を持たず、農業に従事して年貢を納める存在とされました。
刀狩には農民を被支配階層に固定する意図もありました。

さらに、刀狩は一揆の防止も目的としていました。
一揆は武力を用いた反乱であり、平和な時代を維持するためには一揆を防ぐ必要がありました。
武器を没収することで農民が武力による反抗を起こすことができないようにし、平和と秩序を保とうとしたのです。

元禄時代の政治の特徴

元禄時代(17世紀後半〜18世紀初め)は5代将軍徳川綱吉の治世下における時代です。
この時代は応仁の乱以降戦乱が続いた戦国時代から平和と安定が確立された時期であり、幕府や諸藩が領内の統治を強化し、安定した秩序を維持するための政策が行われました。

徳川綱吉は特に農村と百姓の管理を強化し、幕府財政の基盤を安定させることに努めました。
平和な秩序を維持するためには農業生産を安定させる必要があったからです。

政治の特徴

文治主義

元禄時代の政治の基本方針は、儒教的な徳治主義に基づく文治主義です。
これは法や儀礼の整備、道徳教育を通じて秩序を維持しようとするものです。
武力による支配である武断政治とは対照的です。

礼儀の重視

日常生活における礼儀や忠孝を重んじる思想が広まりました。
この思想は1683年に制定された天和の武家諸法度に反映され、武士の生活規範として定められました。

生類憐みの令と服忌令

綱吉の時代を象徴する政策の一つとして知られるのが生類憐みの令です。
この法令は動物の生命を尊重し、生命全般への配慮を求めたものです。
戦国時代の武力を尊ぶ価値観から命を大切にする平和な時代への転換を示しています。

また、服忌令も同時期に発布され、血や死を「穢れ」として忌避する社会的意識が広がりました。

新田開発

新田開発とは、既に検地が済んでいる本田畑以外の土地を新たに田畑や屋敷地として造成することを指します。
この新たな土地開発は、17世紀に幕府や藩の奨励のもとで活発に行われました。
湖や沼地、干潟などを農地に変え、田畑の面積が大幅に増加しました。

結果として米の生産量が増え、市場への米の供給量も増加して経済に大きな影響を与えました。

新田開発を奨励した理由

幕府や藩が新田開発を奨励した背景には、石高制の存在がありました。
石高制とは田畑や屋敷地などの生産高を玄米の収穫量で示し、その石高に基づいて年貢を課す制度です。
新田を開発して石高が増えれば、当然ながら年貢の税収も増加します。
そのため、幕府や藩は新田開発を積極的に奨励しました。

農民の動機

農民にとっても新田開発は大きなメリットがありました。
新たに開発された土地は開発後3〜5年は免税とされたため、その間は年貢を納めずに済みました。
これにより農民たちは新田開発に積極的に取り組むようになり、結果として米の生産が一層拡大しました。

解答例

豊臣秀吉は戦乱終結のために農民が戦や一揆に参加せず耕作に専念するよう鉄砲を没収した。平和実現後の元禄期の江戸幕府は新田開発で被害が増えた害獣の駆除に鉄砲の所持・使用を許可した。
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