【東大日本史2020】中央の都城や地方の官衙から出土する8世紀の木簡に『千字文』や『論語』の文章の一部が多くみられる理由|第1問設問A解説

東大日本史2020第1問設問A8世紀の木簡に『千字文』『論語』の文章が多くみられる理由 日本史

「木簡って何に使用されていたの?」
「8世紀の中央・地方の役人はどこで漢字の読み書きを学習したの?」
「8世紀に中央・地方の役人が漢字の読み書きを学習した理由・背景を知りたい」

2020年の東大日本史第1問設問Aでは、中央の都城や地方の官衙から出土する8世紀の木簡に『千字文』や『論語』の文章が多くみられる理由について、2行(約60字)以内で記述する問題が出題されました。

この記事では、以下の内容について解説します。

  • 木簡の特徴や用途
  • 中央・地方の役人がどこで漢字の読み書きを学習したか
  • 中央・地方の役人が漢字の読み書きを学習した背景

律令制当時の日本の役人に求められた資質やそれを学ぶための環境や手段について整理する記事となっていますので、ぜひ最後までご覧ください。

執 筆 者
諏訪孝明

東京大学経済学部卒
1浪・東大模試全てE判定・センター7割台の崖っぷちから世9割、日8割、数2割で文科Ⅱ類に合格。
これまでに1000人以上の受験生を指導。 
直近2年で偏差値70超の学校への合格率が90%を超えている。

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資料の読み取り

文章(1)

『千字文』は(中略)初学の教科書/習字の手本としても利用され

『千字文』が漢字学習や習字の初学者向けの教科書として利用されていたことから、8世紀の官人にとっては漢字の読み書きを学ぶための教材であったことがわかります。

文章(3)

大宝令では、中央に大学、地方に国学が置かれ、『論語』が共通の教科書とされていた

大宝令に基づいて、中央には大学、地方には国学が設置され、これらの教育機関では『論語』が共通の教科書として用いられていました。
律令国家のもとで官吏養成を行うため、中央の官人や地方の郡司などが共通して儒教の教養を身につけることが求められていたのです。

文章(4)

戸籍を国府で作成/郡家で郡司らが計帳と照合/木簡がくくり付けられて都に送られた

律令時代、地方の役人も公務において漢字を使用していました。
国府では戸籍が作成され、郡家では徴収した調と計帳との照合、荷札への墨書などが行われ、すべて漢字で記載されていました。
中央の役人だけでなく国司や郡司など地方の官人にとっても漢字の読み書き能力は必要不可欠でした。

講義

文書行政

律令制度下では文書を用いた行政運営が基本とされ、漢字文化が広範に浸透しました。
中央政府の決定や命令は、太政官符などの公式文書を通じて中央の諸官庁や地方の諸国に伝達されました。

文書行政の普及により、中央の貴族や官人だけでなく地方の郡司などの役人にも漢字や漢文の読み書き能力が求められました。
郡司たちは、戸籍や計帳の作成、徴税事務などの行政業務を遂行するために、漢字を用いて文書を作成し、記録を残しました。

このような漢字の普及と文書行政は中央集権的な統治を支える基盤となり、国家の一体化に貢献しました。

木簡

木簡とは、木の札に墨で文字を記したものです。
7世紀から10世紀にかけて特に多く使われました。
紙が高価で貴重だった当時、木簡は情報伝達や指示・報告・記録などの事務作業だけでなく文字の練習にも使われ、中央や地方の官庁で広く活用されていました。
削って再利用できるという利便性もあり、安価で繰り返し使えるため官人たちが日常的に用いる実務道具として重宝されました。

大学・国学での官吏養成

律令制のもとでは、大学や国学で中央・地方の官人が養成されました。

大学は中央の官人を養成する機関で、「大学寮」とも呼ばれました。
大学では、貴族や史部の子弟が学生として学びました。
儒教を中心とした学問を修了し、試験に合格すると太政官に推薦されました。

国学は地方の官人養成のために各国に設置されました。
主に郡司の子弟を教育する施設で、漢字の読み書き・儒教の教養・法律や行政の基礎知識が教えられました。

これらの教育機関では『論語』が共通の教科書として使用され、儒教の学識や倫理観、政治哲学を学ぶことが重視されていました。
律令国家の行政に必要な人材を育成するため、中央から地方まで、官吏には儒教の知識が不可欠とされていたのです。

解答例

律令の制定で都・地方を問わず官人に漢字読み書き能力が必須となり、安価で繰り返し利用できる木簡が漢字学習に使用された。
(58文字)

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