【東大日本史2019】摂関政治が行われた時期に貴族が日記を書いた目的|第1問設問B

東大日本史2019第1問設問B摂関政治が行われた時期に貴族が日記を書いた目的 東大日本史

2019年の東大日本史第1問設問Bでは、摂関政治期における貴族の日記記録の目的について、4行(約120字)以内で説明する問題が出題されました。

本記事では、貴族が日記を記録した背景やその意義を詳しく解説します。

執 筆 者
諏訪孝明

東京大学経済学部卒
1浪・東大模試全てE判定・センター7割台の崖っぷちから世9割、日8割、数2割で文科Ⅱ類に合格。
これまでに1000人以上の受験生を指導。 
直近2年で偏差値70超の学校への合格率が90%を超えている。

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資料の読み取り

文章(1)

9世紀後半以降、年中行事の手順や作法に関する先例が細部に至るまで蓄積された。
⇒ そのため、貴族は年中行事に参加する際、先例を把握しておく必要があった。

文章(2)

貴族の地位によって担当できる年中行事が異なっていた。
⇒ 各貴族は自らの立場に応じて、関わるべき行事や果たすべき役割・手順・作法を理解する必要があった。

文章(3)

年中行事において手順や作法を先例どおりに実行できないと、失態とみなされ非難された。
⇒ そのため、担当する行事の先例を正確に理解し、適切に執り行うことが貴族の責務であった。

文章(4)

藤原実資は祖父の日記を受け継ぎ、自らも長年にわたり日記を記した。
⇒ これにより、儀式や政務の先例に精通し、朝廷内で重んじられた。
⇒ 日記には年中行事の手順・作法などの先例が記録され、後の参考資料として活用された。

文章(5)

藤原道長の祖父である藤原師輔は子孫に対し、毎朝前日の出来事を日記に記録することを勧めた。
⇒ 特に記録すべき内容として、以下の三点を挙げている。

  1. 重要な朝廷行事の内容
  2. 天皇に関する出来事
  3. 父親に関する事柄

その目的は「後々の参考のため」であり、子孫がこれを活用することを意図していた。
⇒ 藤原道長や藤原頼通らの時代に至るまで、一族の繁栄に貢献した。

  1. 先例を記録し、年中行事の手順・作法を正確に把握することは、貴族社会において極めて重要であった。
  2. 天皇との関係は貴族の立場を左右するため、天皇に関する記録は特に重視された。
  3. 父親の行動を記録することで、後に同じ役職を継ぐ可能性のある子孫の参考とされた。

講義:摂関政治期の貴族が日記を重視した背景

1:年中行事の先例重視と記録の意義

摂関政治の時代には律令制の整備や儀式の体系化などで官僚機構が成熟したことにより、いわゆる「官僚主義」(既存のルールや慣習を重視する集団的な行動様式や意識状態)が朝廷内に定着した。
これにより、貴族の主な役割は積極的に新たな政策を打ち出すことではなく、朝廷の行事や儀式を先例どおりに遂行することとなった。
そのため、毎年同じ時期に繰り返し行われる年中行事の手順や作法、細かな動作を正確に記録することが重視された。
貴族は日常の政務や儀式の作法を詳細に記録し、それを本人や子孫の参考とするために日記をつけるようになった。

2:家格の固定化と日記の役割

この時期、官職の昇進ルートや上限は家格によって固定され、各家が担当する年中行事もほぼ定まっていた。
天皇を頂点とする貴族社会において家ごとに果たすべき儀式の役割が可視化され、同じ地位に就く子孫も同様の役割を担うことが予測された。
そのため、貴族は日記に年中行事の手順・作法・細かな動作を記録し、これを行動規範として子孫に継承させた。
こうした日記の記録は、貴族社会における家格の維持・確保において重要な意味を持つものとなった。

解答例

摂関政治期の貴族は毎年決まった時期に行われる年中行事の先例を遵守するため、日記に手順や作法を記録した。また、家格ごとに昇進できる官職の上限や担当行事が固定化されたため、日記を子孫に受け継ぎ、家格の維持や家職の継承を図ることも目的とされた。(119文字)

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