【東大地理2023】1980年代前半の中国で小麦の単位収量が増加した理由|第2問設問B(1)

東大地理2023第2問設問B(1)1980年代前半の中国で小麦の単位収量が急激に増加した理由 地理

2023年の東大地理第2問設問B(1)では、1980年代に中国の小麦の単位収量が急激に増加した理由を1行(≒30文字)で説明する問題が出題されました。

この記事では、中華人民共和国建国以降1980年代までの中国農業の歴史について以下のポイントを詳しく解説します。

  • 人民公社の設立
  • 生産責任制の導入
  • 郷鎮企業の設立と拡大

これを通じて、建国から1980年代にかけての中国農業の歴史的背景と改革について学びましょう。

執 筆 者
諏訪孝明

東京大学経済学部卒
1浪・東大模試全てE判定・センター7割台の崖っぷちから世9割、日8割、数2割で文科Ⅱ類に合格。
これまでに1000人以上の受験生を指導。 
直近2年で偏差値70超の学校への合格率が90%を超えている。

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講義:中国の農業・農村(建国~1980年代)

人民公社の設立と集団農業

1949年に中華人民共和国が建国されると土地の国有化が進み、農業は社会主義体制の下で集団化されました。
その中核を担ったのが、1950年代から設立された人民公社です。

人民公社の特徴

①行政・経済・社会の基礎単位(政社合一)
人民公社は、農業のほか、行政、教育、軍事、文化活動などを一体化した組織です。
こうした組織の整備により地域全体を統括し、大規模な農業経営を可能にしました。

②集団農場の展開
土地や農業資源(牛馬・機械など)を公有化し、計画経済に基づいて作物の生産量を決定しました。
これにより、効率的な大規模農業を目指しました。

③農村の統合的運営
工場、学校、医療施設などの運営も担い、行政単位として地域住民の生活全般を支配しました。

集団農業の問題点

①労働意欲の低下
人民公社では、労働にかかわらず収入が同一であったため、農民の労働意欲が大幅に低下しました。

  • 頑張って働いても報酬が変わらず、勤労意欲を失う。
  • 集団農業の非効率性により、農業生産が停滞。

②生産性の低下
計画経済の非効率性から適切な資源配分が難しくなり、結果的に農業生産が低迷しました。

生産責任制の導入

生産責任制とは

生産責任制は、農家が個別に土地を借りて個人経営で農業を行う制度です。
この制度は、農業生産を市場経済に基づいた仕組みに移行することを目的としました。

●仕組み
①政府への生産請負
農家は政府から土地を借り、一定量の農産物(政府納付分)を生産する義務を負いました。
②自由販売の許可
請け負い分を超えて生産した農産物は、農家が自由市場で販売可能となりました。
販売収益はすべて農家のものとなる仕組みです。
③個人経営
農家が自由に経営計画を立てられるようになりました。
生産量が増加すればするほど収入が増えるため、労働意欲が向上しました。

生産責任制の成果

①農業生産の飛躍的向上
生産責任制の導入により、農家の生産意欲が大幅に向上しました。
増産すれば収入が増える仕組みのもと、農業生産量が急激に拡大しました。

・余剰生産物の自由市場での販売
農家が余剰生産物を市場で販売できるようになり、利益を得る機会が拡大しました。

・地域ごとの作物栽培
地域の特性に合わせた作物栽培が進み、国内外の需要に対応する農業が展開されました。

・沿海地域では、大都市向けや輸出用の農産物を生産する豊かな農村が形成されました。
・都市近郊では、野菜の栽培が活発化しました。
・内陸部は上記より収益性の低い自給的農業(集約的な米や麦の栽培)が中心であり続けました。

②農村の経済発展
生産量の増加や生産性の向上により、きわめて裕福な農家が出現しました。
それにより、「万元戸」や「億元戸」と呼ばれる富裕層が誕生しました。

  • 万元戸:年間収入が1万元以上の農家。
  • 億元戸:年間収入が1億元を超える農家で、特に魚の養殖や畜産を専門に行う農家が多い。

郷鎮企業の設立と農村の発展

①郷鎮企業の誕生と背景

1979年に生産責任制が導入されて農業の効率化が進むと、農村に余剰労働力が発生しました。
これに対応するため、地方の行政単位である郷や鎮、あるいは個人によって農村部に工場や企業が設立されました。これが「郷鎮企業」の始まりです。

②郷鎮企業の特徴

郷鎮企業の業種は、工業、運輸業、商業、建設業など幅広い分野にわたります。
郷鎮企業の収益は農村経済を豊かにし、インフラ整備や地域発展に寄与しました。

③農村部の工業化と影響

1980年代後半になると郷鎮企業の規模は拡大し、農村部での工業化が急速に進みました。
郷鎮企業の発展は農村の経済を活性化させ、豊かな農村が次々に誕生しました。
中国全体の工業生産における郷鎮企業の割合が高まり、経済成長を支える柱となりました。

④内陸部と沿岸部の格差問題

郷鎮企業の成長に伴い、農村部では地域ごとの経済格差が拡大しました。

・沿岸部の繁栄
大都市近郊や輸出向け産業が盛んな沿岸地域では急速な発展が見られました。
・内陸部の停滞
内陸部の農村は自給的農業が中心であり続けたことなどから発展が遅れ、農村間の経済格差が顕著になりました。
・出稼ぎ労働者の増加
「民工潮」と呼ばれる現象が発生し、内陸部の農村から沿岸部の都市に労働者が移動する社会問題が生じました。

⑤社会主義市場経済への転換

郷鎮企業の設立と生産責任制の導入は、中国が市場経済へ移行する重要なステップでした。

・市場経済の浸透
生産責任制による個人経営の導入と郷鎮企業の発展は、社会主義体制の下で市場経済が事実上認められたことを示しています。
・人民公社の解体
1980年代に人民公社は解体され、1985年にはその廃止が完了しました。

解答例

生産責任制で農業が個人経営となり、生産意欲が向上したから。
(29文字)

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