【東大地理2022】1960年以降、みかんの作付面積が一旦大きく増加した後に減少した理由|第3問設問B(3)

東大地理2022第3問設問B(3)1960年以降、みかんの作付面積が一旦大きく増加した後に減少した理由 地理

2022年の東大地理第3問設問B(3)では、「政策」「需要」「生産調整」の3語を用いて「1960年以降、みかんの作付面積がいったん大きく増加した後に減少した理由」を3行(≒90字)で説明する記述問題が出題されました。

この記事では、以下のことについて詳しく解説します。

  • 高度経済成長期のみかん作付面積の増加要因
  • 1970年代以降の輸入自由化政策と生産調整
  • 1990年代以降のオレンジ輸入自由化や高齢化による減少
執 筆 者
諏訪孝明

東京大学経済学部卒
1浪・東大模試全てE判定・センター7割台の崖っぷちから世9割、日8割、数2割で文科Ⅱ類に合格。
これまでに1000人以上の受験生を指導。 
直近2年で偏差値70超の学校への合格率が90%を超えている。

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講義:みかんの作付面積の推移

1960年代:作付面積の増加

1960年代の日本は高度経済成長期を迎え、経済成長による所得上昇と人口増加が進行しました。
これにより果物の需要が急増し、特にみかんは広く国民に消費される果物となりました。

農業基本法の制定(1961年)

農業基本法は農家の経営の自立・規模拡大・生産性向上を促すことで農業と他産業との所得格差を縮小させることを目的として制定されました。
選択的拡大政策をとり、今後需要が拡大すると見込まれる酪農・養豚・野菜・果物の生産を奨励しました。
一方で、稲作と麦作は今後の需要拡大が見込めないとして他の農作物への転作を奨励しました。

また、農業基本法では農業の機械化や経営規模の拡大による生産性の向上を掲げました。

1970年代:生産過剰と作付面積の減少

生産過剰の発生

1970年代に入るとみかんの生産量は急増しましたが、需要が思ったほど伸びず生産量が需要を上回る生産過剰の状態となりました。

生産過剰の背景
①60年代に植えたみかんの木が成長し、収穫量が急増した。
②果実消費の多様化:所得上昇に伴い、国民は多様な果物を選ぶようになった。
③輸入自由化による外国産果実との競合:外国産の安価な果実の流入により、国内産みかんの消費が低迷した。

生産調整の開始

みかんの価格低迷と生産過剰を解消するために、作付面積の削減などの生産調整が実施されました。

1990年代以降:輸入自由化の進展とさらなる減少

農産物輸入自由化のさらなる進展

1990年代に入ると、農産物輸入自由化がさらに進展し、国産みかんの競争力が低下しました。

西暦・出来事影響
1991年:オレンジの輸入自由化外国産の安価なオレンジが国内市場に流入
1992年:オレンジジュースの輸入自由化飲料市場でも国産みかんの需要が減少
1995年:ウルグアイラウンド農産物合意輸入農産物の関税が引き下げられた

これらの輸入自由化政策の影響で国産みかんの価格競争力が低下し、消費量が落ち込みました。

生産調整の加速

輸入品との競争が厳しくなり、消費量が落ち込んだため生産調整がさらに推進されました。

生産者の高齢化

農家の高齢化が進み、新規参入する若者が少なかったことによる廃園や耕作放棄地の増加も作付面積減少の一因です。

解答例

所得向上と人口増加で需要が増大して作付面積も増加した後、輸入自由化政策による外国産果実の供給増加などにより生産過剰となって生産調整をし、生産者の高齢化もあって作付面積が減少した。(89文字)

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