【東大地理2020】八郎潟で干拓事業がなされた社会的背景|第1問設問A(3)

東大地理2020第1問設問A(3)八郎潟で干拓事業がなされた社会的背景 東大地理

2020年の東大地理第1問A(3)では、八郎潟で実施された干拓事業の社会的背景を説明する問題が出題されました。戦後の食糧不足を背景に行われたこの事業は、単に農地を拡大するだけでなく、日本農業の近代化や新しい農村モデルの創出を目指したものです。
本記事では、干拓事業の目的やその背景となった戦後日本の社会的状況について詳しく解説します。
八郎潟干拓事業を通じて、日本の農業政策がどのように進化してきたのかを学んでいきましょう。

執 筆 者
諏訪孝明

東京大学経済学部卒
1浪・東大模試全てE判定・センター7割台の崖っぷちから世9割、日8割、数2割で文科Ⅱ類に合格。
これまでに1000人以上の受験生を指導。 
直近2年で偏差値70超の学校への合格率が90%を超えている。

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講義:八郎潟の干拓事業

戦後の深刻な食糧不足

太平洋戦争(1941~1945年)の終戦直後、日本は深刻な食糧不足に直面しました。
戦争による農地の荒廃、生産力の低下、そして都市部を中心とした人口の増加が相まって、国民の食生活は逼迫していました。
この危機を克服するため、政府は食糧増産を最優先課題とし、特に米の生産拡大が求められました。
そのためには新たな耕地を確保することが不可欠であり、大規模な干拓事業が計画されました。
八郎潟干拓事業は、このような戦後日本の農業政策の一環として農地拡大と米増産を目指して推進されたプロジェクトの一つです。

八郎潟干拓の概要

1950~60年代にかけて、当時日本第2位の湖沼面積を誇る八郎潟を干拓して大規模な水田地帯を造成する事業が実施されました。
干拓とは、河川や湖沼、海などに堤防を築き、堤防内の水を排除して陸地を造成する土地改良方法です。
この手法を用いることで、農地として利用可能な広大な土地が新たに生み出されて大規模な稲作地帯が形成されました。
この事業は、戦後日本の農業再建と食糧自給率向上に大きく寄与しました。

干拓事業の目的

八郎潟干拓事業の目的は、単なる食糧不足の解消にとどまりませんでした。
この事業では、機械化を前提とした大規模稲作を推進し、水稲単作経営を確立することで農業の生産性を飛躍的に向上させることが目指されました。
これにより、農家の所得水準を引き上げ、安定した経済基盤を構築することが期待されていました。
さらに、豊かで住みよい近代的な農村社会を構築することで、全国の農業再建のモデルケースとなる新しい農業経営の実現も意図されていました。
このように、八郎潟干拓事業は戦後復興期の日本農業を支える重要な施策として、多面的な目標を持って進められたのです。

減反政策の実施

八郎潟干拓事業による大規模稲作の成果もあり、1960年代後半には国内需要を上回る米の生産が達成されました。
その結果、米の過剰生産が新たな課題となりました。
こうした背景を受けて、1971年には本格的な米の生産調整、いわゆる減反政策が実施されます。

減反政策の下では、米の生産量を抑制しつつ品質を重視する方向へと農業政策が転換されました。
これにより、八郎潟を含む干拓地では「量より質」を重視した米づくりが進められ、地域の農業経営にも大きな変化がもたらされました。
この政策転換は日本農業の新たな発展段階を象徴するものであり、農村社会や経済構造にも影響を及ぼしました。
例えば、

  • 米農家の経営多角化の進展
  • 米のブランド化や高品質化の推進
  • 兼業農家の増加
  • 農村の高齢化・人口減少の顕著化

といった変化がみられました。

解答例

機械化による大規模稲作で戦後の深刻な食糧不足解消を図った。(29文字)

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