前3世紀末頃の匈奴の状況/東大世界史2020第2問・問1(a)

世界史

「匈奴の歴史について知りたい」
「秦・前漢・後漢それぞれの匈奴との関係性を整理しておきたい」
「匈奴が登場するのはいつまで?」

東大世界史では、2020年の第2問・問1(a)で紀元前3世紀末頃の匈奴の状況を2行以内で記述させる問題を出題しました。

そこで、この記事では

  • 匈奴の強大化から分裂・衰退までの歴史
  • 秦・前漢・後漢の時代の匈奴との関係

を整理します。

匈奴と中国王朝との関係は、その後の強力な遊牧騎馬民族と中国の歴代王朝との関係に大きく影響を与えました。
この歴史的な流れを理解するためにも、ぜひこの記事を最後までご覧ください。

執 筆 者
諏訪孝明

東京大学経済学部卒
1浪・東大模試全てE判定・センター7割台の崖っぷちから世9割、日8割、数2割で文科Ⅱ類に合格。
これまでに1000人以上の受験生を指導。 
直近2年で偏差値70超の学校への合格率が90%を超えている。

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講義

春秋・戦国時代(前8世紀前半~前3世紀後半)

匈奴は民族系統が明らかになっておらず、モンゴル系ではないかという説やトルコ系ではないかという説があります。

匈奴はスキタイ(南ロシアの草原地帯で活動した遊牧騎馬民族)の騎馬文化を導入して遊牧国家を建設し、強大化しました。

戦国時代にしばしば中国に侵入したため、各国は防衛のための壁(長城)を建設しました。

秦(前3世紀後半)

戦国の七雄の一つである秦の始皇帝は匈奴を北方の脅威とみなしており、その打倒を最大の政治目標としました。

そこで、戦国時代に築かれた各国の長城を連結・修築して万里の長城としました。
また、蒙恬に命じて匈奴を攻撃させ、匈奴からオルドス(現在の内モンゴル自治区のあたり)を奪いました。

前漢(前3世紀末~後1世紀初め)

この時代の匈奴では、冒頓単于がモンゴル高原を統一しました。
また、月氏を破って西域の交易路(オアシスの道)を支配しました。

騎馬による強大な軍事力と交易から得た利益による強い経済力により、
匈奴はモンゴル高原に大勢力を形成します。
匈奴はモンゴル高原における最初の大遊牧国家となりました。

高祖(位:前3世紀末~前2世紀初め)

冒頓単于は前漢の高祖に勝利して有利な和議を結び、貢納を課しました。

武帝(位:前2世紀後半~前1世紀初め)

強力な中央集権国家を実現した武帝は領土拡大に乗り出します。

まず、匈奴を挟撃するための同盟を目的に張騫を大月氏に派遣します。
目的は果たせませんでしたが、西域の状況を把握できました。

そして、衛青・霍去病らに命じて匈奴遠征を行わせます。
匈奴から河西回廊を奪い、敦煌郡など河西4郡を設置しました。
その後、匈奴は内陸貿易の利を失って衰退することになります。

東西分裂(前1世紀半ば)

衰退した匈奴は東西に分裂しました。
東匈奴は漢に服属し、西匈奴は漢と東匈奴によって滅ぼされました。

東匈奴の服属をきっかけとして、西域都護という西域の統治を行う役職が設置されました。

後漢(1世紀前半~3世紀前半)

南北分裂(1世紀半ば)

この時期に東匈奴が南北に分裂しました。

北匈奴は後漢の西域都護班超の攻撃を受けて西走します。
後にフン族としてヨーロッパに侵入したという説もあります。
南匈奴は後漢に服属して長城付近に定着しました。

五胡十六国時代(4世紀初め~5世紀半ば)

この時期の匈奴は「五胡」の1つとして華北に侵入しました。
永嘉の乱をおこし、洛陽を陥落させて西晋を滅ぼしました。

その後の匈奴は大学受験世界史に登場することはないようです。

答案作成

字数を気にせず書いてみる

秦に敗れた匈奴は冒頓単于のもとでモンゴル高原を統一し、月氏を破って交易路を支配した。前漢の高祖を破って貢納を課した。

58字です。
2行問題なのでちょうどいいですね。
これをこのまま今回の解答例とします。

なお、設問の時代指定が紀元前3世紀「頃」でしたので秦の時代を含めるかどうかがとても際どいです。
蒙恬にオルドスを奪われたのが前215年なので、紀元前3世紀末とは言えません。
しかし、「頃」と言われているので言及を求められている可能性があります。
というわけで冒頭で軽く言及するという対応をとりました。

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