フィリピン革命によるフイリピンの統治体制の変化/東大世界史2021第2問・問2(b)

東大世界史2021 第2問問2(b) フィリピン革命による統治体制の変化 世界史

「フィリピン革命の過程を知りたい」
「米西戦争前後のフィリピンの歴史を把握しておきたい」

「フィリピン独立運動の開始から独立宣言までの過程を理解したい」

東大は世界史2021第2問・問2(b)で、1896年に起きたフィリピン革命によって生じたフィリピンの統治体制の変化の歴史的過程を4行(≒120字)以内で説明させる問題を出題しました。

この記事では、以下のことについて解説しています。

  • フィリピン独立運動のはじまり
  • フィリピン革命のはじまり
  • 米西戦争時のフィリピン革命の過程
  • 米西戦争後のフィリピン

フィリピン革命の過程をわかりやすく解説していますので、是非最後までご覧ください!

執 筆 者
諏訪孝明

東京大学経済学部卒
1浪・東大模試全てE判定・センター7割台の崖っぷちから世9割、日8割、数2割で文科Ⅱ類に合格。
これまでに1000人以上の受験生を指導。 
直近2年で偏差値70超の学校への合格率が90%を超えている。

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講義

フィリピン独立運動(1880年代~)

スペインの植民地だったフィリピンでは、スペインからの留学生がいました。
彼らは本国政府(スペイン政府)に対してフィリピンの統治改革を要求します。
これがフィリピン独立運動のはじまりです。

その後、スペインからの独立を求めたフィリピン人のホセ=リサールはフィリピン民族同盟を組織して平和的方法による独立運動を展開しました。

1896年には秘密結社カティプーナンが武装蜂起して武力革命を目指す方向性にシフトしました。
このカティプーナンの対スペイン蜂起をフィリピン革命のはじまりとします。

米西戦争(19世紀末)

そうしたなかでアメリカ合衆国とスペインとのあいだで米西戦争がおこり、フィリピンも戦場となります。
アメリカは、スペインに打撃を与える目的でカティプーナンの活動を支援しました。

アギナルドがカティプーナンの指導者となり、フィリピン共和国の独立を宣言して大統領に就任しました。

その後、米西戦争ではアメリカが勝利します。
戦争が終結するとアメリカはカティプーナンを支援する必要性がなくなりました。
そして、パリ条約でスペインからフィリピンの領有権を得たアメリカは、フィリピン共和国の独立を認めませんでした。

フィリピン=アメリカ戦争

アメリカに裏切られたかたちとなったフィリピン革命政府は、アメリカと戦争をします。
これがフィリピン=アメリカ戦争です。

フィリピンが敗北し、アメリカの植民地となることが確定しました。

答案作成

字数を気にせず書いてみる

スペインからの独立を目指してカティプーナンが蜂起し、フィリピン革命がはじまった。その後米西戦争が始まるとアギナルドが革命の指導者となりアメリカの支援を得てフィリピン共和国の独立を宣言した。米西戦争がアメリカの勝利で終わるとフィリピンの領有権を得たアメリカはこの独立を認めず、フィリピン=アメリカ戦争で勝利してフィリピンを植民地とした。

167字です。
4行問題なので、48字ほど削る必要があります。

字数調整

スペインからの独立を目指してカティプーナンが蜂起し、フィリピン革命がはじまった。その後米西戦争が始まると時にアギナルドが革命の指導者となりアメリカの支援を得てフィリピン共和国の独立を宣言した。米西戦争がアメリカの勝利で終わると後にフィリピンの領有権を得たアメリカはこの独立を認めず、フィリピン=アメリカ戦争で勝利して武力でフィリピンを植民地とした。

115字です。

解答例・まとめ

今回の解答例は

スペインからの独立を目指してカティプーナンが蜂起し、その後米西戦争時にアギナルドが革命の指導者となりフィリピン共和国の独立を宣言した。米西戦争後にフィリピンの領有権を得たアメリカはこの独立を認めず、武力でフィリピンを植民地とした。

とします。

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