14世紀から15世紀の西欧で農民の地位が向上した要因/東大世界史2021第2問・問1(a)

東大世界史2021 第2問問1(a) 14世紀から15世紀の西欧で農民の地位が向上した要因 世界史

「14世紀から15世紀にかけての西欧で農民の地位が向上した要因を知りたい」
「中世末期の農村社会ではどんな変化が起きたんだろう」
「農民の地位向上に対する領主の対応を知りたい」

東大は、世界史2021第2問・問1(a)で14世紀から15世紀にかけての西ヨーロッパで農民の地位が向上していた複数の要因を3行(≒90字)以内で説明させる問題を出題しました。

この記事では、14世紀から15世紀にかけての西欧について以下のことを解説します。

  • 農業生産力の向上と商業の発展
  • 農民の経済力の向上
  • 人口の激減
  • 農民の地位向上に対する領主の対応

中世末期の西欧でおきた社会の変革について学べる記事になっていますので、是非最後までご覧ください。

執 筆 者
諏訪孝明

東京大学経済学部卒
1浪・東大模試全てE判定・センター7割台の崖っぷちから世9割、日8割、数2割で文科Ⅱ類に合格。
これまでに1000人以上の受験生を指導。 
直近2年で偏差値70超の学校への合格率が90%を超えている。

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講義

「農民の地位の向上」が指すもの 

この設問における「農民の地位向上」とは、具体的には農奴解放のことを指しています。

中世西ヨーロッパでは、大半の農民は農奴として領主に隷属し移動の自由などを有していませんでした。
農奴は領主へ結婚税死亡税を支払う義務を負い、領主は恣意的に農奴を裁くことができる領主裁判権を有していました。

その後14世紀から15世紀にかけて、西欧では農奴が経済的・人格的に解放されて自ら所有する土地を耕作する農民となりました。

こうした農民を独立自営農民と呼び、特にイギリスの独立自営農民をヨーマンと呼びます。

前提①農業生産力の向上

11~12世紀の西欧では農業生産力が向上しました。

その要因を紹介します。

開放耕地制

開放耕地制とは、個人ごとの私有地の仕切りを取り払った耕作地を実現したことです。

そうすることで、広い耕地での耕作が可能となり耕作の効率が向上しました。

具体的には、方向転換が難しい大型の重量有輪犂を使用できる広い耕地の形成を実現しました。

三圃制

三圃制とは、耕地を春耕地・秋耕地・休耕地の3つにわける農法です。

この農法の導入により麦の生産量が増大したといわれています。

重量有輪犂

重量有輪犂とは、肥沃で重い土壌を耕すための大型農具です。

2~8頭の牛馬が引く大型の犂によって、耕地を幅広く深く耕すことができるようになりました。

鉄製農具の普及

基本的な農具や蹄鉄などを鉄製で用意できるようになり、木製農具より作業効率が上がりました。

水車

河川の水流のエネルギーを利用して穀物を粉にしました。

前提②商業の発展

11世紀~12世紀の西欧では商業が発展しました。

ベルギーの歴史家ピレンヌはこれを「商業ルネサンス」と呼びました。

要因:交流の活発化

ノルマン人の活動十字軍の遠征により大規模な物資の移動が発生しました。

その結果、遠隔地貿易が盛んになります。

遠隔地貿易①東方貿易(レヴァント貿易)

地中海東岸に送られてきたアジアの物品をヴェネツィアなど北イタリア諸都市がヨーロッパ各地に運んだ貿易です。
コショウなどの香辛料絹織物などが取引されました。

遠隔地貿易②北海・バルト海貿易

北ヨーロッパで展開された交易です。

ハンザ同盟の盟主リューベックなどが拠点となりました。

経済力の向上

こうした農業生産力の向上商業や都市の発展により、農村に貨幣地代が普及します。

農業生産力の向上により余剰作物が生じるようになり、これを都市で売買することで農民が貨幣を入手する機会が増えたため農村でも貨幣が普及しました。
そうすると領主は地代を貨幣で徴収するようになります。
領主としても、地代を農産物でもらうよりも欲しいものを何でも購入できる貨幣のほうが好ましかったのです。

農民が余剰生産物の売却により蓄財をして農民の経済力が向上しました。

こうして、農奴身分から独立自営農民となり自由な身分となる農民があらわれました。

人口の激減

14~15世紀の西欧では人口が激減します。

その原因を紹介します。

黒死病(ペスト)の流行

黒死病(ペスト)の流行は当時の農村人口を激減させました。

ペストがこの時期の西欧で流行した背景は、

  • 13世紀モンゴルによる世界の一体化がすすんでいたこと
  • 東方貿易が盛んに行われたこと

によるアジアからヨーロッパへの感染拡大であるとされています。

寒冷化による飢饉

14世紀は気候の寒冷化が進み、凶作や飢饉が起こったため人々の栄養状態が悪化して人口が減少しました。

戦乱

イギリスとフランスの百年戦争などの戦乱で国土が荒廃して人口が減少しました。

人口減少の結果

人口が減少した結果、農民の「希少性」が高まったため領主は労働力確保のために農民の待遇を改善しました。

具体的には、農奴から独立自営農民になることを認めたり地代を軽減したり農民保有地の売買を認めたりするケースが増加しました。

封建反動

農民の待遇を改善すると、領主は収入が減り困窮することになります。

これに危機感を覚えた一部の領主たちは、賦役を復活させるなどして農民への支配を再び強めようとします。

これを封建反動といいます。

農民たちはこれに反発し、農民一揆を起こします。

フランスではジャックリーの乱、イギリスではワット=タイラーの乱がその代表例です。

答案作成

字数を気にせず書いてみる

農業生産力が向上し、商業や都市が発展すると農村で貨幣地代が普及して余剰農産物の換金による蓄財が可能となった。これにより農民の経済力が向上し、農奴から独立自営農民になることが増えた。また、黒死病の流行や寒冷化による飢饉の増加、戦乱により人口が減少した。領主は労働力確保のために農民の待遇を改善した。

148字です。

3行問題なので、60字ほど減らさなくてはいけません。

4割ほどを減らす必要があるので、本当に必要なこと以外を思い切って削る必要がありそうです。

字数調整

農業生産力が向上し商業や都市が発展すると農村で貨幣地代が普及して余剰農産物の換金による蓄財が可能となった。これにより農民の経済力が向上した。また黒死病の流行や寒冷化による飢饉の増加、戦乱により人口が減少した。、領主は労働力確保のため農民の待遇を改善した。

89字です。

なんとか制限字数内におさめることができました。

解答例・まとめ

今回の解答例は

農業生産力が向上し商業や都市が発展すると貨幣地代が普及し農民の経済力が向上した。また黒死病の流行や飢饉の増加、戦乱により人口が減少し、領主は労働力確保のため農民の待遇を改善した。

とします。

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