「カーリミー商人って何?」
「カーリミー商人が行った交易について解説してほしい」
「カーリミー商人が活躍した時代の世界の海路交易ネットワークについて知りたい」
東大は、世界史2023第2問・問3(b)でカーリミー商人による交易で扱われた物産と取引相手について2行(≒60字)以内で説明させる問題を出題しました。
カーリミー商人は、2015年度第1問以来の登場ですね!
この記事では、東大世界史9割の私が以下の内容について解説します。
- カーリミー商人が行った交易の内容
- カーリミー商人が活躍した12世紀~15世紀頃のヨーロッパで行われた海路交易の内容
- カーリミー商人が活躍した12世紀~15世紀のアジアで行われた海路交易の内容
12世紀~15世紀に形成される世界の交易ネットワークについて説明できるようになりましょう!
講義
ここでは、12世紀~15世紀の海路交易を概観するとともに今回のメインテーマであるカーリミー商人について詳しく解説します。
12~15世紀の海路交易における主な担い手は以下のとおりです。
- ①南シナ海の中国商人
- ②インド洋のムスリム商人
- ③地中海のイタリア商人
活動エリアが「東⇒西」になる順番で解説していきます。
12~15世紀における南シナ海の中国商人
12~15世紀の中国では商人がジャンク船で絹織物・陶磁器などを輸出して南シナ海中心に活動しました。
その影響で、広州・泉州・杭州などの港市が繁栄しました。
この時期にこれらの都市を支配した各王朝(宋、南宋、元、明)は市舶司という役所を設置して海上交易を管理し、関税の徴収などを実施しました。
これらの都市にはムスリム商人も交易目的で来訪しており、中国とイスラーム世界との交易が始まった時代となります。
海禁(14世紀後半)
明の洪武帝が海禁を打ち出して民間貿易を全面禁止しました。
貿易を政府の管理する朝貢貿易のみとすることで、貿易による利益を国家が独占することが目的でした。
私貿易を禁止された民間商人には、武装化して日本人や朝鮮人とともに私貿易に従事する者たちもいました。
これを倭寇(特に14世紀のものを前期倭寇)といいます。
鄭和の南海諸国遠征(15世紀前半)
明の永楽帝がイスラーム教徒の宦官・鄭和に南海諸国遠征を行わせた影響で朝貢貿易が盛んになりました。
12~15世紀におけるインド洋のムスリム商人
ムスリム商人
この時期のムスリム商人は、ダウ船で主にインド洋での交易に従事しました。
その後、南シナ海などにも活動範囲を広げて中国との交易や東南アジアとの交易を開始します。
彼らは中国の陶磁器・絹織物や東南アジアの香辛料を他地域へ運びました。
ムスリム商人の活動は13世紀頃からの東南アジアのイスラーム化を促します。
15世紀にはマラッカ王国の国王がイスラーム教に改宗します。
それにより、マラッカ王国は海上貿易で繁栄し、インド・東南アジア・東アジアの物産が集まりました。
カーリミー商人
カーリミー商人とは、アッバース朝の衰退以降イスラーム圏の経済の中心となったカイロを拠点として紅海・インド洋での貿易に従事したムスリム商人のことです。
アイユーブ朝やマムルーク朝の時代に保護されて香辛料などの貿易を独占しました。
カーリミー商人はアラビア半島南端にあるイエメンの港町・アデンでインド商人などから東南アジア・インド産の香辛料や中国産の絹織物・陶磁器などを買いました。
そして、それらの物産を地中海沿岸の都市・アレクサンドリアへ運びヴェネツィアやジェノヴァなどのイタリア商人に販売して南ドイツ産の銀やミラノ産の毛織物などを得ました。
15世紀中頃以降、オスマン帝国やポルトガルの香辛料貿易への進出によりカーリミー商人の活動は後退していきました。
12世紀~15世紀における地中海のイタリア商人
背景:商業ルネサンス
9世紀にイスラーム勢力が西地中海に進出して以降、西欧の商業活動は衰えていました。
しかし、11~12世紀頃に再び商業が活性化します。
これを「商業ルネサンス」といいます。提唱者はベルギーの歴史家・ピレンヌです。
その主な理由は以下のとおりです。
- ①貨幣経済の普及
- ②遠隔地貿易の発達
三圃制農業や重量有輪犂の普及により西欧で農業生産が増大すると余剰生産物の都市での売買が盛んになります。
それに加え、ノルマン人の活動や十字軍の遠征により大規模な物資の交流が行われて貨幣経済が普及しました。
遠隔地貿易とは、遠方の経済圏との商業活動のことです。
その代表例が、イタリア商人が地中海で行った貿易です。
東方貿易(レヴァント貿易)
東方貿易(レヴァント貿易)とは、ヴェネツィアやジェノヴァなどのイタリア商人がムスリムのカーリミー商人と行った貿易のことです。
アレクサンドリアなどの地中海東岸に送られてきた香辛料・絹織物・陶磁器などのアジアの物産を輸入してヨーロッパ各地へもたらしました。
また、南ドイツ産の銀や毛織物を輸出しました。
東方貿易が与えた影響
東方貿易は14世紀後半以降の西ヨーロッパに中央アジア・黒海方面からペストがもたらされる要因となりました。
ペストの流行は中世社会を変質させ、中央集権体制の確立へと向かわせることとなります。
ここまでのまとめ
ここまでの内容をまとめます。
答案作成
字数を気にせず書いてみる
カーリミー商人はアデンでインド商人と香辛料や絹織物や陶磁器を、アレクサンドリアでイタリア商人と銀や毛織物を取引した。
58字です。ちょうど良いですね。
設問が「扱われた物産」「取引相手」について訊いており、都市B・都市Cの名称を伏せているのでこれらについて述べることに専念しました。
字数に余裕があれば、活動の拠点がカイロだったことや紅海での貿易だったことにも言及したかったです。
解答例・まとめ
今回の解答例は、
カーリミー商人はアデンでインド商人と香辛料や絹織物や陶磁器を、アレクサンドリアでイタリア商人と銀や毛織物を取引した。
とします。
東大世界史2023世界史解説記事リンク一覧
・第1問 https://ronjyutu-taisaku.com/todai-w-2023-1/
・第2問問1(b)https://ronjyutu-taisaku.com/2023-2-1-b/
・第2問問2(b)https://ronjyutu-taisaku.com/todai-w-2023-2-2-b/
・第2問問2(c)https://ronjyutu-taisaku.com/todai-w-2023-2-2-c/
・第2問問3(a)https://ronjyutu-taisaku.com/todai-w-2023-2-3-%ef%bd%81/
・第2問問3(b)この記事です。