2020年の東京大学地理 第3問B(2)では、1980年代以降の転入超過人口が三大都市圏の間でどのように異なるかとその理由を簡潔に説明する問題が出題されました。
この問題の背景には日本経済の国際化やサービス化、そして産業構造の転換があり、それが地域ごとの経済活動や人口動態に大きな影響を与えました。
三大都市圏(東京圏・名古屋圏・大阪圏)の間で異なる人口動態が見られる理由を解明することは、日本の経済や社会の変化を理解する上で極めて重要です。
本記事では、それぞれの都市圏の特徴とその背景を詳しく解説します。
講義:1980年代以降の三大都市圏の人口推移
東京圏:一極集中の進行
1980年代以降、東京圏では1990年代中盤を除いて一貫して転入超過が続いています。
この動向の背景には日本経済における国際化、情報化、サービス化の進展が大きく関係しています。
東京は日本経済におけるサービス業の成長を象徴する都市として金融業や情報産業が発展しました。
また、東京は大企業の本社機能が集まる都市として、国際的な経済活動の中心地となりました。
こうした経済活動の高度化により、国内外の情報や高度な人材が東京に一極集中する傾向が強まりました。
名古屋圏:自動車工業による安定した人口動態
名古屋圏では、1980年代以降は転入超過と転出超過がほぼ均衡した状態が続いています。
これは、名古屋を中心とする中京工業地帯において国際競争力のある自動車工業が経済の基盤となっていることが理由です。
自動車産業は日本の工業や貿易を支える重要な産業であり、その堅調な成長が地域経済を支えています。
この結果、名古屋圏では他都市圏のような極端な人口流出や流入が見られず、緩やかな人口増加傾向を維持しています。
転出超過数が停滞している状態にあるとも言えます。
大阪圏:経済停滞による転出超過
大阪圏では、1980年代以降一貫して転出超過の状態が続いています。
その主な原因として挙げられるのが、大阪圏の経済の地盤沈下です。
大阪はかつて重工業を中心とした経済構造を持ち、製造業の中心地として発展してきました。
しかし、時代の変化に伴って重工業の低迷や電気機械工業の海外移転が進んだことで、地域経済が大きく停滞しました。
さらに、産業構造がサービス経済へと転換するなかで大阪圏は東京圏のように中枢管理機能や情報産業の集積を十分に進めることができず、サービス経済化への対応が遅れました。
このような状況のなかで雇用機会が相対的に減少し、他地域と比較して経済的な魅力を失ったことで人口の流出が進行しました。
解答例
転入超過人口は東京圏は多く名古屋圏は0付近、大阪圏はマイナスとなった。サービス業の発展で人口の東京一極集中が進み、名古屋圏は自動車工業が国際競争力を維持し大阪圏は工業が低迷した。(89文字)