【東大地理2020】日本で1960年代前半をピークに、人口が三大都市圏に集まってきた理由(産業構造の変化と産業の立地)|第3問設問B(1)

東大地理2020第3問設問B(1)日本では1960年代をピークに、人口が三大都市圏に集まってきた理由(産業構造の変化と産業立地の観点) 東大地理

2020年の東京大学地理 第3問B(1)では、1960年代前半をピークに人口が三大都市圏に集まった理由を「産業構造の変化」と「産業の立地」の観点から説明する問題が出題されました。
この問題の背景には、日本が高度経済成長期(1955年~1970年)に突入して社会経済が大きく変化したことがあります。
特に、産業構造の高度化とそれに伴う都市の発展が人口移動にどのような影響を与えたのかを理解することが重要です。
本記事では、この点を詳しく解説します。

執 筆 者
諏訪孝明

東京大学経済学部卒
1浪・東大模試全てE判定・センター7割台の崖っぷちから世9割、日8割、数2割で文科Ⅱ類に合格。
これまでに1000人以上の受験生を指導。 
直近2年で偏差値70超の学校への合格率が90%を超えている。

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講義:高度経済成長期における三大都市圏への人口集中

高度経済成長期と産業構造の変化

1955年から1970年にかけて日本は高度経済成長期を迎え、年平均約10%という驚異的な経済成長を遂げました。
この時期には産業の中心が農業や軽工業から重化学工業へと移行し、エネルギー源も石炭から石油へと転換されました。
こうした産業の質的変化は日本経済を飛躍的に発展させただけでなく、労働市場にも大きな影響を及ぼしました。
工業の発展に伴って都市部では労働力の需要が急増し、多くの工場が新たに建設されました。
特に、製鉄業や石油化学工業などの重化学工業は設備投資を拡大し、それに伴い雇用機会が増加しました。

重化学工業の立地と三大都市圏への人口集中

重化学工業の臨海部への集積と太平洋ベルトの形成

高度経済成長期に発展した重化学工業は、立地条件として港湾との近接性を重視しました。
石油や鉄鉱石といった原材料を大量に輸入する必要があり、それらを効率よく工場へ運搬し、加工した製品を国内外へ輸送する際に輸送コストの削減が求められました。
そのため、海上輸送に適した臨海部に工場を建設する傾向が強まり、これが結果として三大都市圏を核とする「太平洋ベルト」の形成につながりました。
京浜(東京・神奈川)、中京(愛知)、阪神(大阪・兵庫)を中心に、北九州や瀬戸内地方にも工業地域が広がり、製造業が急速に発展しました。
このように工業の集積が進んだ地域では雇用の機会が増加し、それに伴い地方からの人口流入が加速しました。

農村の余剰労働力と都市への人口流入

農村部と都市部の所得格差が拡大するなかで、農村では機械化の進展により余剰労働力が生まれたため仕事を求める若年層が都市部へ移動する動きが活発になりました。
こうした状況のもとで農村部の中卒の若者たちは「金の卵」として都市部の工場などへと就職しました。
企業は地方からの労働者確保を目的として積極的に採用活動を展開し、学校や自治体と連携して都市部への集団移動が組織的に行われるようになりました。
この結果、三大都市圏の人口は急増し、都市部における経済活動のさらなる活性化につながりました。

ドーナツ化現象と地方の過疎化

このような人口移動の結果、東京都の周辺地域である神奈川県・埼玉県・千葉県の人口が特に増加する「ドーナツ化現象」が進行しました。
「ドーナツ化現象」とは、大都市の中心部における地価の上昇や生活環境の悪化により都市部に流入した人口が周辺地域へと移動していく現象を指します。
1960年代以降にこの傾向が顕著となり、鉄道網の整備や住宅地の開発が進んだことも相まって都市圏の拡大が進行しました。

その一方で、地方農村部では人口の流出が続いたことで過疎化が進んで地域社会の存続が課題となりました。

1960年代前半が人口移動のピークとなった理由

本問では「1960年代前半をピークに」とされている点が重要です。
この時期が三大都市圏への人口移動のピークとなった背景には、いくつかの要因が挙げられます。

工業における労働力需要の変化

1960年代前半は日本の工業化が最も急速に進んだ時期であり、重化学工業の発展に伴って雇用機会が大幅に増加しました。
多くの企業が新たに工場を建設し、労働力の確保が不可欠となったため地方から都市部への人口流入が加速しました。
しかし、1970年代に入ると技術革新の進展によって工場の自動化や省力化が進み、労働集約型の工業生産の必要性が低下したことで都市部における労働力の需要が相対的に減少していきました。

都市部の過密化と生活環境の悪化

都市部の過密化が進行し、生活環境の悪化や地価の高騰が深刻な問題となったことも人口移動の減少につながりました。
特に、大気汚染や水質汚濁などの公害問題が深刻化して都市の住環境が悪化したため、都市への人口流入のペースは次第に鈍化しました。

オイルショックと産業構造の転換

1973年のオイルショックを契機に、日本経済は重化学工業を中心とした成長から知識集約型産業へのシフトを進めるようになりました。
この産業構造の転換によって新たに発展した情報・サービス産業は従来の重化学工業ほど労働力を大量に必要としなかったため、都市部への大規模な人口流入が起こりにくくなりました。

これらの要因が重なり、1960年代前半をピークに三大都市圏への人口流入は次第に減少していったのです。

解答例

産業の中核が農業から重工業へ変化し、工場が多く立地した三大都市圏へ農村から大量の若年層が就業機会を求めて移住したから。(59文字)

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