2020年の東大地理第3問A(3)では、西部ドイツにおいて1970年代から80年代にかけて顕著だった人口増減率の南北格差が2000年代以降には目立たなくなった理由について問われました。
この問題では、「国際競争力」「サービス経済化」「産業構造」というキーワードを用いて、地域格差の変化とその背景を考察することが求められます。
本記事では、この時期のドイツ西部の産業構造の変化と地域差縮小の要因を詳しく解説します。
講義:西部ドイツにおける人口増減率の南北格差変遷
1970年代~1980年代:南北格差が顕著
北部の停滞と人口減少
1970年代に発生した石油危機を契機として、ドイツ北部では国際競争力を失った重厚長大型産業が衰退しました。
例えば、重工業地帯であるルール地方では造船業や鉄鋼業といった基礎素材型産業が停滞し、失業率が上昇しました。
こうした経済的な停滞は人口流出を招き、北部地域での人口減少が顕著になりました。
この時期、重工業への依存が高い地域ほど経済的なダメージを受けて人口減少が深刻化しました。
南部の成長と人口増加
ドイツ南部では自動車産業や機械工業が発達し、ハイテク産業(IC産業など)も台頭しました。
これらの産業は技術集約型や軽薄短小型といった特徴を持ち、高い国際競争力を維持しました。
この経済成長により、南部の人口増加率は高い水準を保ちました。
特にシュツットガルトでは自動車産業や機械工業が、ミュンヘンでは先端技術産業が盛んとなり、雇用機会の増加や生活水準の向上が人口流入を促す要因となりました。
2000年代以降:南北格差の縮小
2000年代に入ると、ドイツ西部における人口増加率の南北格差は徐々に縮小しました。
これは、国土全体に分散する大都市がそれぞれの地域で人口を集積する役割を果たすようになり、地域間の差が目立たなくなったことに起因します。
また、この時期、ドイツは「青いバナナ」と呼ばれるヨーロッパの経済中枢地帯の一部としての地位を確立しました。
フランクフルトにはユーロを発行する欧州中央銀行が置かれ、ヨーロッパの金融の中心として重要な役割を果たしました。
さらに、フランクフルト空港はヨーロッパのハブ空港として機能し、ドイツの国際競争力を一層高める拠点となりました。
北部の人口増加
サービス経済化が進展し、金融業や商業など第三次産業の割合が増加しました。
これにより雇用機会が増え、人口増加率が上昇しました。
また、ルール地方では産業構造転換が進み、従来の重厚長大型産業から機械工業や化学工業への移行が成功するとともに近年ではハイテク産業や商業が発展し、地域経済を支える重要な要素となっています。
ハンブルクやブレーメンといった大都市にはサービス産業が集積しており、これが北部の人口増加を後押しする大きな要因となりました。
南部の成長鈍化
南部でも北部と同様にサービス経済化は進展しましたが、成長はやや停滞する傾向が見られました。
2004年に東欧諸国がEUに加盟した後、自動車工場などの工業施設が東欧へ移転する動きが顕著になったからです。
この結果、以前のような高い人口増加率を維持することが難しくなりました。
南部は依然として技術産業の集積地としての地位を保ち、経済的優位性を一定程度維持していますが北部との人口増加率の格差は次第に縮小していきました。
解答例
石油危機後の北部は重工業の国際競争力が低下し南部は自動車産業などが好調で南部の人口増加率が高かった。その後南北とも金融の発展などサービス経済化が進み産業構造が変化し差が縮まった。(89文字)