2023年の東大地理第2問設問B(2)では、「ハンガリーで1990年代に小麦の単位収量が大幅に低下した理由」を、「農業補助金削減」「肥料」の2語を用いて1行(≒30文字)で説明する問題が出題されました。
この記事では、以下のポイントについて詳しく解説します。
- ハンガリーの農業の特徴
- 市場経済導入がハンガリーの農業に与えた影響
- EU加盟後の農業政策とその効果
この記事を通じてハンガリーの農業について理解し、地理の記述・論述問題に備えましょう。
講義
ハンガリーの農業と自然環境
ハンガリーはヨーロッパ中央部に位置する内陸国であり、国土の大半が広大なハンガリー盆地に広がっています。
この盆地は中央部を南北に貫流するドナウ川や東部を南に流れるティサ川など、豊富な水資源によって支えられており、平坦で肥沃な土壌に恵まれています。
こうした自然条件のもと、ハンガリーでは耕地面積が国土の5割以上を占め、穀物農業が古くから盛んに行われてきました。
このため、ハンガリーは「東ヨーロッパの穀倉地帯」と呼ばれることもあります。
主要な農産物には小麦やトウモロコシ、大豆などがあり、それらの栽培は混合農業という形で行われています。
混合農業とは穀物の栽培とともに肉牛や豚などの家畜の飼育を組み合わせた農業形態で、農業資源を効率的に活用しながら生産を持続可能に保つことを目的としています。
ハンガリーの市場経済導入と農業
第二次世界大戦後、ハンガリーは東欧の他の諸国と同様にソ連の影響下で社会主義体制に組み込まれました。
1944年にソ連に占領され、その後1946年にハンガリー共和国が成立し、1949年には人民共和国として社会主義体制が正式に採用されました。
この体制の下で計画経済が推進され、農業や工業などあらゆる分野で国が主導する経済政策が行われました。
しかし、1989年の東欧革命によって社会主義体制が崩壊してハンガリーを含む東欧諸国は民主化と市場経済への移行を進めることになりました。
計画経済から市場経済への移行に伴い、ハンガリーでは大きな混乱が生じました。
特に1990年代には政治的および社会的な不安定さが続き、経済も不安定な状況に陥りました。
この混乱は農業にも深刻な影響を及ぼしました。
従来の社会主義体制下では政府が農業補助金を提供し、肥料や農業設備の供給を支えていました。
しかし、市場経済への移行に伴って農業補助金が削減されました。
その結果、多くの農家が肥料を購入することができなくなり、肥料使用量が減少しました。
このことが、小麦を含む主要な農作物の単位収量の低下につながりました。
さらに、1991年にはソ連主導の経済協力機構であるCOMECONが解体されて旧ソ連からの経済援助も途絶えました。これにより、ハンガリーを含む東欧諸国は従来依存していた経済的な支援を失い、経済改革の負担を自力で背負わざるを得なくなりました。
このような背景から、ハンガリーの農業は1990年代に深刻な生産低迷を経験しました。
EU加盟後のハンガリーの農業
東西冷戦期にハンガリーはソ連主導の社会主義圏に属し、西欧の経済共同体(EC)と対立関係にありました。
しかし、1989年の東欧革命によって社会主義体制が崩壊するとハンガリーは西欧諸国との関係を急速に改善させ、EU加盟を目指すようになりました。
その努力が実を結び、ハンガリーは2004年にEUの正式な加盟国となりました。
この加盟は、ハンガリーの農業にとっても重要な転機となりました。
EU加盟後、ハンガリーの農業はEUの共通農業政策(CAP)の恩恵を受けるようになりました。
この政策は、EU加盟国間で農業を保護し、持続的に発展させることを目的としています。
共通農業政策は主に以下の3つの柱で構成されています。
- ①共通市場政策:域内市場の統一を目指し、農産物の価格を安定させるために補助金支給などを行う
- ②共同農業財政:農業関連財政を共通基金から支出する
- ③統一構造政策:農業構造改善に関して共通の目標をもつ。
ハンガリーのような農業基盤が西欧諸国に比べて脆弱な地域では、共通農業政策に基づく補助金が農業振興の鍵となっています。
これらの補助金は農業基盤の整備や農産物の生産効率向上に活用されています。
EUからの資金援助によって肥料や農業機械の導入が進み、小麦やトウモロコシといった主要作物の単位収量が回復しました。
また、農産物の品質も向上し、輸出市場での競争力が高まるなど多方面で成果が見られるようになりました。
解答例
東欧革命後の社会主義経済から市場経済への移行で政治や経済が混乱し、農業補助金削減や化学肥料の使用量減少がみられたから。
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