【東大日本史2021】1884年の華族令がもたらした華族構成の変化とその意図|第4問設問A解説

東大日本史2021第4問設問A1884年の華族令がもたらした華族構成の変化とその意図 日本史

「1884年の華族令の内容を教えてほしい」
「華族令が出された意図を知っておきたい」

2021年の東大日本史第4問設問Aでは、「1884年に制定された華族令が、華族の構成にどのような変化をもたらし、それが何を意図したのか」について3行(約90字)以内で記述する問題が出題されました。

この記事では、次の2つのポイントを中心に解説します。

  • 1884年の華族令の内容
  • 華族令が出された意図

この記事を通して、明治政府が大日本帝国憲法の制定と帝国議会の開設に際して何を危惧し、それにどう対応したのかが理解できる内容となっています。
ぜひ最後までお読みください。

執 筆 者
諏訪孝明

東京大学経済学部卒
1浪・東大模試全てE判定・センター7割台の崖っぷちから世9割、日8割、数2割で文科Ⅱ類に合格。
これまでに1000人以上の受験生を指導。 
直近2年で偏差値70超の学校への合格率が90%を超えている。

諏訪孝明をフォローする
公式LINEでは、国公立大学2次試験の世界史・日本史・地理の論述を攻略するために必須な超有益情報を発信しています。ぜひ友達追加してください!

資料の読み取り

文章(1)

国家に偉勲ある者

華族に新たに加えられた層とは「国家に偉勲ある者」、つまり明治維新で功績をあげた士族や藩閥官僚たちです。
華族令の施行によって、それまでの旧公家や旧大名に加えて明治政府を支えた功労者が華族に組み込まれるようになりました。
出自だけでなく、個々の能力や功績を基準にして華族の範囲が拡大されたことがわかります。

文章(2)

貴族院は(中略)皇族華族及勅任せられたる議員を以て組織す

華族は大日本帝国憲法において貴族院の構成員として位置付けられていました。

講義

華族令の背景と目的

1881年、明治政府は自由民権運動の高まりにより10年後の国会開設を約束しました。
政府は国会を二院制とし、上院である貴族院を設置して民権派が多数を占めるであろう下院(衆議院)の活動を抑制する方針を打ち立てました。
1884年の華族令では従来の旧公家・旧大名に加えて明治維新で功績を上げた士族らを華族に組み入れることで貴族院議員の選出母体を拡充しました。

華族の階層制度

華族令によって公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵という五爵制が導入され、華族はその階層に分類されました。
これにより国家に功績を残した者が新たに華族となり、出自や家柄だけではなく国家に対する貢献度が華族に列する基準となりました。

貴族院設立の意図

貴族院は公選制の衆議院に対抗するために設けられました。
自由民権運動の勢力が拡大し、民権派が下院である衆議院で多数を占めることが予想されていたため、政府は上院の貴族院を通じて国家運営を安定させようとしました。
華族令によって藩閥政府の官僚が華族として貴族院議員になれるようにし、民権派に対抗できる人材を確保しようとしました。

解答例

旧公卿・大名以外に国家の功労者が華族になった。国会開設にあたり藩閥官僚を貴族院議員とすることで民権派が多数を占めると予想される衆議院に対抗させ、その立法権を制限できるようにした。
(89字)

タイトルとURLをコピーしました