「元禄時代に江戸幕府の収入が減少した原因を知りたい」
「元禄時代に江戸幕府の支出が増加した原因を教えてほしい」
「元禄時代の江戸幕府が財政の悪化に対応してとった対策を知りたい」
2021年東大日本史第3問設問Aでは、「17世紀後半以降の幕府財政上の問題」について2行(約60字)以内で記述する問題が出題されました。
この記事では、次の3つのポイントを中心に解説します。
- 元禄時代に江戸幕府の収入が減少した理由
- 元禄時代に江戸幕府の支出が増加した要因
- 元禄時代に江戸幕府が財政悪化に対応して行った政策
元禄時代の幕府財政の状況を理解することで、財政政策の意義や背景に迫ることができます。
ぜひ最後までお読みください。
資料の読み取り
文章(1)
1707年
ここでは徳川綱吉の治世、すなわち元禄時代に関する記述が取り上げられています。
近年出費がかさんでおり、(中略)「諸国高役金」を徴収した
幕府の支出が増加し、財政難に陥っていたことがわかります。
そして、災害復興のために臨時課税を行う必要が生じたことが示されています。
文章(4)
幕府に上納された約49万両の「諸国高役金」のうち、被災地の救済に使われたことがはっきりしているのは6万両余にすぎなかった
この記述から、幕府が深刻な財政難に直面していたことがわかります。
災害復興を名目に徴収された「諸国高役金」は、実際には大部分が幕府財政の補填に使われており、被災地の救済には十分な資金が投入されていなかったことが示されています。
講義
元禄時代の幕府財政
元禄時代とは
元禄時代(17世紀後半〜18世紀初め)は、5代将軍徳川綱吉の治世にあたる時代です。
この時期、経済は発展し、上方を中心に町人文化が栄えましたが、幕府の財政は厳しい状況にありました。
収入の減少
元禄時代には佐渡金山などの幕府直轄鉱山が枯渇し、金銀の産出量が激減しました。
これにより幕府は鉱山収入が減少し、財政に大きな打撃を受けました。
また、長崎貿易では貿易赤字が拡大してオランダ船や中国船との取引額の上限を定める貿易規制を実施せざるを得なくなりました。
支出の増加
支出面では、1657年の明暦の大火後の江戸復興費用や寺社造営費が大きな負担となりました。
徳川綱吉の厚い仏教信仰により、護国寺の建立や寛永寺、増上寺の修築、東大寺大仏殿の再興など、多額の費用が寺社の造営に費やされました。
さらに、朝廷の権威を高めるための儀式復興費用や綱吉の奢侈な生活も支出を押し上げる要因となりました。
幕府の対応
こうした財政難に対処するため、幕府は以下の対策を講じました。
勘定吟味役の新設
勘定吟味役の新設により財政管理を強化し、財政監察機関として、勘定所や代官らを監察しました。
検地の実施
幕領での検地を実施し、農業生産力を正確に把握しました。
貨幣の改鋳
勘定吟味役・荻原重秀の提案により、1695年に元禄金銀の改鋳を実施しました。
金の含有率を下げた貨幣を発行し、幕府は出目(差益)で収入を増やしましたが、物価の高騰(インフレ)を招き、庶民や武士の生活が圧迫される結果となりました。
解答例
幕府直轄鉱山で金銀産出額が激減して収入が減少し、明暦の大火からの江戸復興や寺社造営などで支出が増加して財政が悪化した。
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この記事では、元禄時代の幕府財政がどのように悪化し、それにどう対処したかを明らかにしました。
ぜひ、これをもとに一国の財政運営についても理解を深めてください。