【東大日本史2022】律令制下の諸国で命令を民衆に周知した方法|第1問設問B解説

日本史

「律令制下で政府の命令が民衆にどのように周知されたのかを知りたい。」
「律令制下の地方の行政区画を整理しておきたい」
「古代において民衆が集まる機会にはどのようなものがあったか知りたい。」

2022年の東大日本史第1問設問Bでは、諸国ではどのようにして命令が民衆に周知されたと考えられるかを、具体的な伝達方法に注意しつつ4行(約120字)以内で記述する問題が出題されました。

この記事では、以下の内容について解説します。

  • 律令制下の地方の行政区画
  • 律令制下で地方支配を担った人々の役職と役割
  • 古代の人々の祭祀

律令制当時の地方支配について整理する記事となっていますので、ぜひ最後までご覧ください。

執 筆 者
諏訪孝明

東京大学経済学部卒
1浪・東大模試全てE判定・センター7割台の崖っぷちから世9割、日8割、数2割で文科Ⅱ類に合格。
これまでに1000人以上の受験生を指導。 
直近2年で偏差値70超の学校への合格率が90%を超えている。

諏訪孝明をフォローする
公式LINEでは、国公立大学2次試験の世界史・日本史・地理の論述を攻略するために必須な超有益情報を発信しています。ぜひ友達追加してください!

資料の読み取り

文章(1)

国司が国内で施行した

中央政府からの命令を施行するのは国司の役割であったことがわかります。

文章(3)

木札に郡司の命令が記されていた

民衆に周知したい命令は木札に記されていたことがわかります。

国司のからの命令を引用した

中央政府から受け取った命令は、国司からの命令として郡司へ伝えられていたことがわかります。

管轄下の役人に対し、諭し聞かせるようにと指示している

郡司が管轄下の役人である里長を通じて民衆に命令を周知していたことがわかります。
また、「諭し聞かせる」とあることから、掲示するだけでなく話して聞かせるという方法もとられていました。
これは、当時の民衆には文字を読めない人が多かったためだと考えられます。

道路沿いに掲示/屋外に掲示されていた

命令は木札に記されて道路沿いなどの屋外に掲示されていたことがわかります。

文章(4)

祭りの日に「国家の法」が告知され、その後に宴会がおこなわれた

「国家の法」、つまり中央政府からの命令は村落の農耕祭祀の場で宴会の前に民衆に口頭で告知するという方法がとられていたことがわかります。

当時の地方行政区画は国・郡・里で、「村」という行政区画は存在しませんでした。
「村」は人々の実際の生活単位であり、生活共同体を指すと考えられます。

講義

律令制下の地方行政区画

律令制では、地方は国・郡・里という区画で編成されていました。
国には国府が置かれ、国司が派遣されて地方を統括しました。
郡は複数の里からなり、郡司がその行政や司法を司っていました。
里は50戸で構成され、里長が管轄していました。

律令制下で地方支配を担った役職

国司

中央の貴族や官人が任命されて一定の任期で派遣され、地方行政を統括して律令制度を地方に浸透させる役割を担いました。

郡司

旧国造層などの在地豪族が任命され、終身制であり事実上の世襲制でした。
国司の指示を受け、戸籍や計帳の作成、班田収授の実施、徴税など地方行政の実務を担当しました。

里長

郡の下にある里を管轄し、主に租税の取り立てを行いました。

古代の祭祀

農耕に関連する祭祀が行われており、春に豊作を祈る祈年祭や秋に収穫を感謝する新嘗祭が特に重要視されていました。
これらの祭りは「村」単位で行われ、中央政府からの命令が告知される場ともなりました。

解答例

命令は国司から郡司へ、郡司から里長へ伝えられ、里長が民衆へ周知した。木札で道路沿いなどに掲示するとともに民衆には文字が読めない人が多かったため口頭でも伝達された。人々の生活共同体である村の祭りの日の宴会前にも法の内容が民衆に伝達された。
(118文字)

タイトルとURLをコピーしました