【東大日本史2022】律令制下における中央政府から地方への命令伝達方法|第1問設問A解説

東大日本史2022第1問設問A律令制下で中央政府から諸国に命令を伝える方法 日本史

「律令制下での中央から地方への命令伝達方法を知りたい」
「律令制下では全国をどのように区分していたのかを確認したい」
「律令制下で整備された交通システムの詳細を知りたい」

2022年の東大日本史第1問設問Aでは、中央政府が諸国に命令を伝える際に、都から個別に使者を派遣する以外にどのような方法がとられていたのかを2行(約60字)以内で記述する問題が出題されました。

この記事では、以下の内容について解説します。

  • 律令制下の全国の行政区分
  • 律令制下の交通システム
  • 律令制下での文書行政

律令制当時の日本の中央政府と地方との連携のありかたを整理する記事となっていますので、ぜひ最後までご覧ください。

執 筆 者
諏訪孝明

東京大学経済学部卒
1浪・東大模試全てE判定・センター7割台の崖っぷちから世9割、日8割、数2割で文科Ⅱ類に合格。
これまでに1000人以上の受験生を指導。 
直近2年で偏差値70超の学校への合格率が90%を超えている。

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資料の読み取り

文章(1)

文書が用いられた

中央政府から諸国への命令伝達には、文書が用いられていたことが確認できます。

中央政府から畿内や七道の諸国に伝達された

畿内・七道という広域行政区画ごとにまとめて命令が伝達される場合がありました。
具体的には、畿内と七道それぞれに1通ずつ、合計8通の文書が作成され、それが送られていました。

受けとった国司はそれを写しとり

文書を受け取った国司は、命令の文書を他の国に送る前に写し取ることで文書の複製を行い、命令の内容を正確に施行する役割を果たしていました。

文章(2)

出雲国を経由して、隠岐国や石見国に文書が伝達されることもあった

命令の伝達は、ある国に文書を送りその後隣国に送るという形で行われる場合がありました。
この場合、中央から地方への命令は隣接する国々へと順次伝達されていきました。

講義

律令制下の全国の行政区分

律令制の下では、全国は「畿内」と「七道」に区分されました。

  • 畿内:都の周辺地域(大和、河内、摂津、山背、和泉)
  • 七道:東海道、東山道、北陸道、山陽道、山陰道、南海道、西海道

交通・通信システムの整備

中央と地方を結ぶために、律令制では「官道」と呼ばれる幹線道路が整備されました。
これらの官道は都から畿内と七道の諸国の国府に向かって延びており、国家の重要な情報伝達手段となっていました。

官道には「駅家」と呼ばれる施設が約16キロメートル(30里)ごとに設置され、「駅馬」と呼ばれる馬が配置されていました。
公用で文書や命令を運ぶ役人(駅使)は駅鈴という通行証を持ち、駅家で馬を乗り継ぎながら迅速に目的地まで移動しました。

この制度により中央からの命令が速やかに地方に伝達され、地方からの報告も迅速に中央に届くようになっていました。

文書行政

律令制度下では、文書による行政運営が基本とされていました。
律令制の整備に伴い、漢字・漢文の使用が急速に広がって文書行政が社会に浸透していきました。
中央政府の決定や命令は、太政官符などの公式文書を通じて諸官庁や地方の諸国に伝達されました。

文書行政が浸透することで、貴族や中央の官人だけでなく郡司として地方の行政を担う在地の豪族らにも漢字・漢文の読み書き能力が求められるようになりました。
郡司は戸籍や計帳の作成、徴税事務などの実務を遂行する必要があったからです。

このようにして、律令制のもとでは中央から地方に至るまで広範な階層にわたって漢字の使用が浸透し、文書による行政が中央と地方をつなぐ重要な手段となりました。

この文書行政の広がりは律令国家の運営を支える基盤の一つとして機能し、中央集権的な統治の一翼を担ったといえます。

解答例

中央政府は五畿七道それぞれに文書を作成し、送付した。各国では国司が写しをとった後、隣国に順次送付して命令が伝達された。
(59字)

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