【東大日本史2023】律令制期、摂関期、院政期における国家的造営工事の変化|第1問解説

東大日本史2023第1問律令制期・摂関期・院政期の国家的造営工事のあり方(国家財政と地方支配) 日本史

「律令制期、摂関期、院政期それぞれ地方の権力構造がどう変わったのか知りたい」
「律令制期から摂関期、院政期にかけて地方支配の実務担当者がどう変化したのか知りたい」
「律令制期、摂関期、院政期に徴収された主な税の名称を整理したい」

2023年の東大日本史第1問では、律令制期、摂関期、院政期における国家的造営工事のあり方の変化と、それを支える国家財政及び地方支配の変化について6行(≒180字)以内で記述する問題が出題されました。

この記事では、以下の内容について解説します。

  • 律令制期の地方支配のあり方
  • 摂関期の地方支配のあり方
  • 院政期の地方支配のあり方

古代の地方支配のあり方を深く理解できる内容となっていますので、ぜひ最後までお読みください。

執 筆 者
諏訪孝明

東京大学経済学部卒
1浪・東大模試全てE判定・センター7割台の崖っぷちから世9割、日8割、数2割で文科Ⅱ類に合格。
これまでに1000人以上の受験生を指導。 
直近2年で偏差値70超の学校への合格率が90%を超えている。

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文章の読み取り

文章(1)

「仕丁は、全国から50戸ごとに成年男子2名が徴発」とあり、律令制期には戸籍に基づいた人民支配が地方支配の基礎であり、律令に規定された労働力が動員されていたことがわかります。
また、「雇夫」も律令に規定された労働力です。
そして、「庸」は律令に規定され、計帳を基に徴税された人頭税です。

文章(2)

「周辺の諸国に多数の雇夫を集めることが命じられた」とあり、律令制期の国家的造営工事では雇夫が労働力として用いられていたことが示されています。

文章(3)

「受領に建物ごとの工事を割り当てて行われた」とあり、摂関期には受領が国家的造営工事を負担したことがわかります。

文章(4)

「臨時雑役」とあり、受領が徴収した税が引き続き造営工事の財源として用いられていたことが読み取れます。

また、荘園公領制のもとで国衙領だけでなく荘園にも一律に賦課される一国平均役が導入されたこともわかります。

講義

律令制期の地方支配と徴税のあり方

公地公民制と地方支配の構造

律令制期においては、「公地公民」の原則が掲げられ、土地と人民はすべて国家が支配するものとされました。
地方支配の実務は国司の指揮のもと、郡司が中心となって行いました。
国司は中央から任期付きで派遣された貴族や官人であり、太政官の指示に従って地方行政を統括し、律令制度を地方に浸透させる役割を担っていました。
郡司には、旧国造層などの在地の豪族が終身制(事実上の世襲制)で任じられ、彼らが地方行政と徴税の実務を担いました

戸籍と計帳による個別人身支配

律令制期の徴税は、戸籍と計帳を基に行われました。
戸籍は6年ごとに作成され、徴税・徴兵の根幹をなすもので、班田収授法による口分田の配分にも使用されました。
計帳は毎年作成され、人頭税の台帳として機能しました。

これにより、各個人に対する人頭税が徴収され、個別の人民支配が実現されました。

徴税の仕組みと労働の徴発

徴税の具体的な形としては、「調」「庸」「雑徭」などの人頭税が課されました。
正丁(成年男子)らが主な対象で、課税は計帳に登録された個人ごとに行われました。

労働力の徴発としては、仕丁や雇役がありました。
仕丁は都に上り、中央官庁で造営などの雑役に従事しました。
雇役は、造営事業などのために都の周辺諸国から公民を強制的に雇用する形で労働力を調達するものでした。

律令制期のまとめ

このように、律令制期の地方支配は国家が直接管理する仕組みを基礎とし、人民や土地に対する詳細な管理と徴税が実施されました。

戸籍・計帳を基盤とした人頭税や労役の徴発は、律令制度に基づく支配体制の特徴をよく表しています。

摂関期の地方支配と徴税のあり方

受領による地方支配と徴税の仕組み

摂関期においては、受領に地方の支配を委ねる体制が確立しました。
受領は一国の統治を任され、徴税の請負人として機能しました。
彼らは一定額の租税を国家に納めることを請け負い、その代わりに国内の支配権と徴税権を得ました。
受領のなかには権力を利用して暴政や蓄財に走る者も現れました。
このため、国司の地位が利権化して成功や重任といった慣行が広まりました。

  • 成功:朝廷の儀式や寺社の造営を私財で請け負い、その見返りとして官職に任命されること。
  • 重任:成功によって同じ官職に再任されること。

受領は税納入の責任と国内支配の権限を集中して持ち、任国の運営方法は受領の裁量に任されていました。
この体制のもとで、国司は地方豪族や開発領主から私的に採用した在庁官人を実務担当者としました。
在庁官人はその地位を世襲することが多く、地域での武士化も進行しました。
これは、地域の土地紛争などが自力救済を原則とし、実力で解決する必要があったため、在庁官人が武装したことが要因です。

負名体制と徴税の変化

摂関期には、土地に基づく課税体制である負名体制が確立されました。
課税対象となる土地は検田によって調査され、その土地は「名」として編成され、これが徴税の単位となりました。名の管理者である田堵(有力農民)は負名として、土地税の納税を請け負いました。
これにより、負名が税収の主な担い手となり、課税は土地に基づくものが中心となりました。

徴税の内容としては、「官物」として米や布などの国々の生産物が貢納され、また「臨時雑役」として朝廷や国衙が生産物や労働力を必要に応じて徴発しました。
このように、摂関期には地方の支配と徴税が受領に委ねられ、その実務は在庁官人に任される形で進められました。

院政期の地方支配と徴税のあり方

荘園の増加と受領の徴税への影響

院政期に先立ち、後三条天皇は延久の荘園整理令を発し、荘園の整理を試みました。
寄進地系荘園が急速に拡大し、不輸・不入の権を持つ荘園が増加したことで受領による徴税が圧迫されたからです。
官省符荘や国免荘といった免税特権を持つ荘園が増え、荘園は耕地のみならず集落を含む一つの領域としてまとまり、不入の権を得ることで国衙の支配から独立するようになりました。
これにより、荘園は国衙領と並ぶ行政単位として機能するようになりました。

知行国制度の確立と上級貴族の経済基盤

院政期には、知行国制が確立し、上皇が上級貴族に国の支配権や収益を得る権利を分配しました。
知行国主となった貴族は受領の任命権も握っており、自身の子弟や側近の中下級貴族を受領に任じて国からの収益を確保しました。

これにより、天皇家や摂関家などの上級貴族は荘園や知行国を集積し、私的な経済基盤を形成していきました。
この仕組みで中下級貴族らとの主従関係が強化され、彼らに受領などの地位を与えて支配を維持しました。

荘園公領制の確立と徴税制度の変化

院政期には、荘園と公領の同質化が進み、荘園公領制が確立して荘園は荘官が管理し、公領は郡司や在庁官人が管理する体制が敷かれました。
税制面では、一国平均役が導入されて不輸・不入の権を持つ荘園を含めて国内のすべての土地に一律に税が賦課されるようになりました。

名主の台頭と土地税の徴収

田堵は耕作権を強化して「名主」と呼ばれるようになり、土地の管理者としての地位が向上しました。
名主が管理する土地は「名田」と呼ばれ、荘園内の名主は荘園領主に、公領内の名主は国司に対して年貢、夫役、公事といった土地税を納めました。

  • 年貢:荘園領主や知行国主に納める貢納物
  • 公事:年中行事に必要な物品を提供するもの
  • 夫役:土木工事などの労働力を提供する労役

国衙の変化と目代の派遣

院政期には、受領が国衙に常駐しないことが多くなり、その代わりに目代が国衙に派遣されることが増えました。
この場合、受領が不在の国衙は「留守所」と呼ばれ、その実務は在庁官人が担当しました。

解答例

国家的造営工事は、律令制期には律令に規定された仕丁や雇役が担い、財源は戸籍・計帳による支配を基礎として郡司が徴税する人頭税だった。摂関期には田堵からの土地税徴収を請け負った受領が納入した一定額の税や成功が財源となった。院政期には荘園の増加に伴い荘園公領制が確立し、荘園・国衙領ともに造営費を負担する一国平均役が確立し、名主から徴収する夫役などが財源となった。
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