「江戸幕府がポルトガル船の来航を禁止した理由・目的を整理したい」
2024年の東大日本史第3問設問Bでは、ポルトガル船の日本来航を禁止する政策を広く大名たちに知らせたのは何のためだったかを2行(約60字)以内で記述する問題が出題されました。
この記事では以下の内容について詳しく解説します。
・江戸幕府がポルトガル船の来航を禁止した目的
この記事を通じて、江戸幕府がポルトガル船の来航を禁止した理由を理解しましょう。
ぜひ最後までご覧ください。
講義
江戸幕府が1639年にポルトガル船の来航を禁止した目的
鎖国政策の全体像について
鎖国政策の詳細については、2024年東大日本史第3問設問Aの解説記事を参照してください。
リンクはこちらです。
ここでは、江戸幕府がポルトガル船の来航を禁止した具体的な目的・意図に絞って解説します。
ポルトガル船の来航禁止の主な目的
1639年に江戸幕府がポルトガル船の来航を禁止したのには、いくつかの重要な目的がありました。
禁教政策の徹底
最大の理由は、キリスト教の布教を徹底的に排除するためです。
1637年の島原の乱でキリスト教徒の団結力とそれが引き起こす潜在的な脅威を再認識した幕府は、ポルトガル商人の交易を認めていた出島からも彼らを締め出すことを決定しました。
これにより、宣教師の日本への潜入を防ぎ、禁教政策を強化しました。
ポルトガルの侵略を防ぐ
幕府は、ポルトガルがキリスト教布教を口実に日本を侵略する可能性があると警戒していました。
来航を禁止することで、その侵略のリスクを排除し、日本の安全を確保することが狙いでした。
貿易利益の独占
ポルトガル船の来航禁止は、貿易の利益を幕府が独占するための政策とも関連しています。
西国大名が貿易で利益を上げて幕府に対抗する力を持つことを防ぐため、幕府は貿易相手国や貿易拠点を厳格に統制し、自らの手で管理しました。
資料の読み取り
資料文(1)
長崎へ赴く奉行に命令書を出した
この記述から、1633年の鎖国令は最初に長崎奉行に伝えられたことがわかります。
これは、長崎が当時の貿易や外国船監視の中心地であったため、重要な施策がまずここで実施されたことを示しています。
資料文(5)
諸大名にも伝えて
この記述から、江戸幕府がポルトガル船の来航禁止の政策を全国の大名に直接伝達したことが読み取れます。
これは、鎖国政策の徹底と統制を全国規模で確実に実施するための措置でした。
警戒を呼びかけた
幕府が大名たちに警戒を促したのは、以下の理由からです。
- 禁教の徹底
ポルトガル船の来航禁止の最大の目的はキリスト教の布教を完全に排除することでした。
宣教師の密入国を警戒し、その取り締まりを強化するため、大名たちにも監視と警戒態勢の強化が求められました。 - 軍事的および貿易面での警戒
ポルトガル船が貿易再開を求めて攻撃を仕掛ける可能性や、密貿易が行われる可能性もありました。
これに対応するため、幕府は全国の沿岸での警備を強化し、大名たちに警戒態勢を徹底させる必要がありました。
このようにして、幕府は全国的な協力体制を築き、禁教政策と貿易統制を徹底する狙いがありました。
解答例
諸大名に知らせることで全国的に禁教の徹底と沿岸の監視・取締体制を強化して宣教師の密入国や商船来航、軍事衝突を防ぐため。
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