【東大日本史2024】1633年から1639年の長崎やポルトガル船に対する幕府政策の転換|第3問設問A解説

東大日本史2024第3問設問A1633年から1639年の長崎やポルトガル船に対する幕府政策の転換 日本史

「鎖国実施直前の江戸時代の海外との交易の状況を知りたい」
「ポルトガル船の来航を禁止するまでの鎖国政策の展開過程を知りたい」
「鎖国政策の実施における島原の乱の影響を知りたい」

2024年の東大日本史第3問設問Aでは、1633年から1639年の間に長崎やポルトガル船に対する幕府の政策がどのように転換したかを、島原の乱の影響を考慮しながら3行(約90字)以内で記述する問題が出題されました。

この記事では以下の内容について詳しく解説しています。

  1. 鎖国政策実施直前に海外とどのような交易をしていたか
  2. 鎖国政策の目的と実施プロセス
  3. 鎖国政策に島原の乱が与えた影響

この記事を通じて、江戸時代初期の幕府の外交政策の背景を理解しましょう。
ぜひ最後までご覧ください。

執 筆 者
諏訪孝明

東京大学経済学部卒
1浪・東大模試全てE判定・センター7割台の崖っぷちから世9割、日8割、数2割で文科Ⅱ類に合格。
これまでに1000人以上の受験生を指導。 
直近2年で偏差値70超の学校への合格率が90%を超えている。

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講義

鎖国政策実施直前の海外との交易

朱印船貿易

鎖国政策実施直前、日本は東南アジア各地と積極的に貿易を行っていました。

幕府は、アンナン(現在のベトナム)やシャム(タイ)、ルソン(フィリピン)などに渡航する商船に「朱印状」という許可証を発行し、貿易を奨励していました。

こうした幕府公認の商船は「朱印船」と呼ばれました。

朱印船は主に生糸を輸入し銀を輸出しました。
この時代、日本人は東南アジア各地で日本人町を形成しました。

ポルトガルとの交易

ポルトガル船との交易も盛んで、特に中国産の生糸の取引はポルトガル商人が独占していました。
ポルトガル商人は生糸価格を釣り上げ、巨利を得ていました。

幕府は生糸の価格調整を行うため、長崎奉行の管理下で「糸割符制度」を導入し、特定の商人たちに生糸の価格をポルトガル商人らとの協議で決定させてその価格で一括購入させました。

しかし、キリスト教布教を行うポルトガル商人に対しては、次第に警戒心を強めていきます。

イギリス・オランダとの交易

イギリスとオランダが平戸に商館を開設し、貿易を開始しました。
イギリスとオランダはプロテスタントを信仰しているためキリスト教布教をせず、幕府から歓迎されました。

これに対し、カトリックのポルトガルとスペインは布教活動が問題視されるようになります。

貿易奨励期のキリスト教への対応

家康は、宣教師が持つ貿易仲介能力に注目し、当初キリスト教の布教を黙認していました。

例えば、宣教師たちはポルトガルやスペインなどの貿易商人とのネットワークを活用し、日本に絹織物などの貴重な貿易品をもたらす役割を担っていました。
この貿易仲介の力を利用して、家康は貿易による経済的利益を期待し、キリスト教布教を容認していたのです。

鎖国政策の実施プロセス

鎖国は、禁教と貿易統制を目的として、日本人の海外渡航禁止と外国船の来航を制限する政策です。
以下に、その実施プロセスをまとめます。

禁教令の発布(1612年、1613年)

家康は宣教師に依存しない貿易ルートが確保できたことやキリスト教徒の結びつきへの警戒、さらにスペイン・ポルトガルの侵略を防ぐことを目的として1612年に幕領と直属家臣に禁教令を出し、翌年には全国へ拡大しました。

その後元キリシタン大名の高山右近や宣教師らを国外追放し、キリスト教信者には改宗を強制しました。

キリスト教徒の処刑と入港規制の開始

宣教師が密航を図り、これが発覚すると長崎で大規模な処刑(元和の大殉教)が行われました。

一部の信者は改宗しましたが、迫害に屈せず信仰を続けた者は「隠れキリシタン」となりました。

この事件を機に幕府は入港地と来航国の規制を強化し、禁教政策の徹底と貿易統制を進めました。

貿易統制の強化

幕府は西国大名が貿易で利益を上げるのを防ぎ、幕府が貿易利益を独占するため、貿易を厳重に統制しました。

  • 1616年:中国船以外の外国船の入港地を長崎と平戸のみに限定した
  • 1624年:スペインとの国交を断行した
  • 1625年:スペイン船の来航を禁止した

奉書船制度の導入と海外渡航の禁止

1631年に朱印船がスペイン船との紛争に巻き込まれたことを受け、幕府は老中発行の奉書を持つ船にのみ渡航を許可する奉書船制度を導入しました。

1633年には奉書船以外の渡航を禁止し、1635年には日本人の海外渡航と帰国も全面的に禁止しました。

この結果、朱印船貿易は衰退し、東南アジアの日本町も次第に衰退していきました。

島原・天草一揆(1637年)

厳しい年貢取り立てとキリスト教徒への弾圧に反発した島原・天草のキリスト教徒が一揆を起こしました。

幕府はこの乱に衝撃を受け、キリスト教の脅威をさらに警戒し、信仰調査である絵踏や宗門改を拡大しました。

ポルトガルとの断交(1639年)

鎖国令によりポルトガル船の来航を禁止し、ポルトガルとの断交を決定しました。
これにより、宣教師の潜入を防ぎ、禁教政策を徹底させました。

生糸はオランダから入手することにし、経済的な影響を抑えました。

オランダ商館の移転(1641年)

オランダ商館を平戸から長崎出島に移転し、鎖国体制が完成しました。
オランダ人は出島の商館に隔離され、長崎奉行の監視下で貿易を行いました。
これにより、日本はオランダと中国との限定的な貿易を維持しつつ、厳格な貿易管理体制を確立しました。

これらの一連の政策により、日本は長期間にわたる鎖国体制を構築し、国内の安定と幕府の権威を維持しました。

資料文の読み取り

資料文(1)

日本人の海外渡航禁止・帰国禁止

鎖国政策の主要な内容で、日本人の海外渡航と帰国を原則禁止していることがわかります。
ただし、例外として奉書船の海外渡航や、海外在住4年以下の日本人の帰国は許可されていました。

長崎に来るポルトガル船とその貿易

この時点では、ポルトガル船の来航やポルトガルとの貿易が依然として認められていることを示しています。

資料文(2)

ポルトガル人を収容する施設として出島の築造が開始

ポルトガル人の居住地を出島に限定し、隔離したことがわかります。
禁教政策を強化しながらも、長崎でのポルトガルとの貿易を維持していた状況が読み取れます。

資料文(3)

日本船と日本人の海外渡航禁止/海外在住日本人の帰国禁止

ここでは奉書船も含めて日本人の海外渡航が全面的に禁止され、海外在住日本人の帰国も海外在住年数に関係なく禁止されたことが示されています。

鎖国政策の徹底が読み取れます。

ポルトガル人の血縁者を追放

ポルトガル人の血縁者を追放する措置が取られたことがわかり、禁教の徹底が進められていることが示されています。

来航ポルトガル船とその貿易に関わる諸規定は前年と変わりがなかった

前年と変わらず、長崎でのポルトガルとの貿易が継続されていたことが確認できます。

資料文(4)

島原の乱鎮圧後

島原の乱でキリスト教の脅威に直面し、キリシタンの再蜂起を危惧した幕府は禁教と貿易制限を加速させました。

ポルトガル人が日本にもたらしているような商品を、オランダ人は供給することができるか

新教国であるオランダから生糸を確保できることが確認され、ポルトガルとの貿易停止に備えた対策が整いました。

資料文(5)

ポルトガル船の日本来航禁止

ポルトガル船の来航が禁止され、ポルトガルとの貿易が断絶されました。
これにより、禁教政策が完全に徹底されました。

解答例

日本人の海外渡航や在外日本人の帰国が全面的に禁止された。ポルトガルとの貿易は出島に隔離して継続したが島原の乱を機に禁教徹底のため生糸の輸入先をオランダに切り替えて来航を禁じた。
(88文字)

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