9世紀前半に生じた太上天皇の政治的立場の変化/東大日本史2024第1問設問A

東大日本史2024 第1問設問A9世紀前半に生じた太上天皇の政治的立場の変化 日本史

「太上天皇とはなにか教えてほしい」
「9世紀前半に太上天皇の政治的立場がどう変化したか知りたい」
「太上天皇の政治的立場はなぜ変化したのか解説してほしい」

東大は、2024日本史で9世紀前半に発生した太上天皇の政治的立場の大きな変化がどのようなものかを2行(≒60字)以内で記述させる問題を出題しました。

そこで、この記事では以下のことを解説します。

  • 太上天皇とはなにか
  • 太上天皇と天皇が対立した例
  • 9世紀前半の太上天皇の政治的立場の大きな変化
  • 天皇の権力強化に努めた嵯峨天皇の主な業績

平安時代初期までの太上天皇について理解を深めることができる記事となっていますので、ぜひ最後までお読みください。

執 筆 者
諏訪孝明

東京大学経済学部卒
1浪・東大模試全てE判定・センター7割台の崖っぷちから世9割、日8割、数2割で文科Ⅱ類に合格。
これまでに1000人以上の受験生を指導。 
直近2年で偏差値70超の学校への合格率が90%を超えている。

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講義

太上天皇とは

太上天皇とは、天皇が譲位した後に用いられる称号です。

平安初期までは「太上天皇」という称号がそのまま使われていましたが、平安中期以降になると「上皇」という称号が使用されるようになりました。

飛鳥時代末期から奈良時代初期にかけては、若年の天皇や女性の天皇が相次いで即位するケースが見られました。
そのため、天皇が譲位する際に前天皇が後見人として朝廷に影響力を残すために「太上天皇」という地位に就くようになったとされています。
その後、譲位した天皇が太上天皇になることが慣例化しました。

太上天皇は、後継天皇の後見人として天皇と同等の政治的権限を持つことがありました。

太上天皇の存在は、天皇との関係が良好であれば政治の安定に寄与するものでした。
しかし、もし太上天皇と天皇の関係が悪化すると、朝廷が太上天皇派と天皇派に分裂する恐れがあり、その存在は時に政治的な緊張を生む要因ともなりました。

恵美押勝の乱(8世紀後半)

孝謙太上天皇とその寵臣である道鏡が、政治の実権を握ろうとするなかで淳仁天皇とその寵臣である藤原仲麻呂(別名:恵美押勝)との対立を深めました。

藤原仲麻呂は道鏡を排除するために挙兵しましたが、失敗して敗死しました。
これが恵美押勝の乱です。

乱の後、孝謙太上天皇は再び即位して称徳天皇となり、さらに道鏡を次期天皇に即位させようとしました。
しかし、この計画は和気清麻呂らによって阻止されました。(宇佐八幡宮神託事件)

平城太上天皇の変(9世紀前半)

平城太上天皇は平城京への遷都を主張し、現職の天皇である嵯峨天皇と対立しました。
この対立は「二所朝廷」と呼ばれる混乱を引き起こし、朝廷が分裂する事態となりました。

最終的に嵯峨天皇側が出兵して勝利し、平城太上天皇は出家を余儀なくされました。
そしてその寵臣であった藤原仲成と藤原薬子は敗死しました。
これが平城太上天皇の変です。

平城太上天皇を罪人として扱わないための配慮から、この事件は藤原薬子を首謀者とする形で「薬子の変」とも呼ばれています。

この事件を契機に太上天皇の政治的権限は大きく後退し、天皇に対する政治的権力の集中が進むこととなりました。

嵯峨天皇

嵯峨天皇は桓武天皇の皇子であり、平城天皇の弟にあたります。

嵯峨天皇は天皇権力の強化法制の整備に尽力し、律令政治を安定させるためにさまざまな改革を実施しました。

天皇権力の強化

令外官の新設

令外官とは、律令に規定のない新たな官職を指します。
嵯峨天皇は天皇権力を強化するために以下のような令外官を設置しました。

蔵人頭

天皇の意思伝達を担う官職で、機密保持に重要な役割を果たしました。 
蔵人頭は天皇と太政官の連絡を行い、機密文書を取り扱うなど天皇の秘書官長としての役割を担いました。

検非違使

京内の治安維持を担当する官職で、都における警察権および裁判権を司る要職です。
検非違使の設置により都の治安が強化され、天皇権力の安定に寄与しました。

天皇が設置した官職により京の治安が安定したことや天皇の意向に沿った裁判や法の執行が可能となったため検非違使の設置は天皇の権力強化につながりました。

法制の整備

弘仁格式

嵯峨天皇は唐の制度にならい、「格」(律令を補足・修正する法令)と「式」(律令や格の施行細則)を編纂しました。
これにより、律令政治を当時の社会的実情に適応させる体制が整備されました。
この法制整備により天皇の統治体制が一層強化されました。

資料文の読み取り

資料文(2)

758年

この時期は8世紀であり、太上天皇の政治的立場が大きく変化する以前の話です。

国家の大事を自らおこなうことを宣言

この宣言から、太上天皇が国政に強く関与していたことが分かります。
太上天皇が政治的実権を握っており、「絶対的な権力者」として天皇と同等の立場にあったことを示しています。
ここでの太上天皇は、律令を超越する存在として大きな権力をもっていたことがうかがえます。

天皇を廃して再び天皇となった

天皇を廃するという行為は、孝謙太上天皇が天皇を上回るほどの権力を持っていたことを示しています。
これにより孝謙太上天皇の影響力の強さが強調されています。

資料文(3)

809年/823年

どちらも9世紀前半の時期にあたるため、太上天皇の政治的立場が大きく変化した後の話です。

国政への意欲を強めた

平城天皇が譲位後、他の太上天皇たちと同様に強い権限を行使しようとしたことが示唆されています。

出家した/隠棲した

平城太上天皇と嵯峨太上天皇の両者とも、政治の表舞台から退き、国政に関与しなくなりました。
これは、9世紀における太上天皇の政治的役割の変化を象徴しています。

解答例

9世紀前半まで太上天皇は天皇と同等の政治的権限を持っていたが、それ以降は政治の表舞台から退き国政に関与しなくなった。
(58字)

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